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農医連携教育研究センター 研究ブランディング事業

27号

情報:農と環境と医療27号

2007/6/1
第3回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの内容:鳥インフルエンザ(5)野鳥の渡りや生態と感染の発生
平成19年3月9日に開催された第3回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムのうち、演題「野鳥の渡りや生態と感染の発生」を紹介する。残りの演題と総合討論については、次号以降に順次紹介する。

野鳥の渡りや生態と感染の発生

日本野鳥の会自然保護室 金井 裕

はじめに
2003年の秋からアジア地域で発生した強毒型H5N1鳥インフルエンザは、2005年から2006年にかけてヨーロッパやアフリカにも拡大した。また2006年から2007年には再び韓国と日本で感染が発生した。感染の伝播に野鳥が関わっているのではないかと言われている場合が多く、野鳥感染事例も生じている。しかし、感染発生の場所と時期が、渡りなど鳥類の移動傾向と必ずしも一致していない場合も多い。

感染の広がりと野鳥との関係について、現在の知見からどんなことが考えられるのだろうか。

1.感染発生と渡り経路との関係
どんな鳥が鳥インフルエンザのウイルスに感染するかわからない部分も多い。渡り鳥が感染しても、発症した場合は長距離の移動は困難であろう。発症しない場合は、体内からウイルスが消滅するまでの10日前後の期間で移動する距離はウイルスを運搬する。そのための、世界的な拡大に渡り鳥が関わっていると考える人たちが多い。しかし、渡りの期間や主な移動方向も決まっており、生態を考慮もせずに感染の拡散をすべて渡り鳥に起因すると考えるのは誤りを犯す元である。

1)韓国から日本
2007年1月11日に明らかにされた宮崎県清武町の発生は、2004年の山口県、大分県、京都府での発生と同じく、韓国で発生が続く中で起こったものである。2003-2004年、2006年-2007年ともに、韓国での感染発生が11月下旬から12月初旬で、1月にかけて韓国内で発生が続いている。

日本では、2003年-2004年は、山口県が年12月下旬、大分県と京都府は2月初旬にそれぞれ独立に感染が起こったと考えられている。2007年は2月13日現在、宮崎県内に3か所が集中し、岡山県が1か所の合計4か所の発生があった。

韓国の発生は、2003年、2006年ともに西海岸の水田地帯で発生が始まった。ほぼ同じ地域で発生した事例もある。発生は、養鶏場だけでなくアヒル飼育場やウズラ飼育場でも発生している。水鳥類の大規模生息地にも近く、2006年12月21日は、野生のカモ類からもウイルスが見つかっている。

一方、日本では図に示したように発生地が西南日本に散らばっている。広い水田地帯や水鳥類の大規模生息地から距離が離れている場合が多いのも韓国とは異なる。宮崎県は3か所と集中しているが、それぞれ住宅の多い畑地、山間の谷間、河川沿いの水田地帯に接した台地と、環境条件が異なっていた。

朝鮮半島から西南日本は、冬鳥の主要な渡りルートの一つであり、1日以内で到着する。ただし渡りは10月から12月初旬がピークで、12月中旬には主な冬鳥は日本に到着している。その後は、朝鮮半島に強い寒気が来て、降雪や凍結で採食が困難になるなど、生息条件が悪化すると日本に南下する鳥がいる。

ウイルス運搬の最有力候補とされるカモ類と家禽の直接の接点はなかった。2004年の発生では、発生地周辺でカモ類の糞を採取し、陸生鳥類の捕獲も行ってウイルスの保有の有無を調査したが、ウイルスは認められず、陸生鳥類に感染が広がった兆候も認められなかった。

しかし、極めて少数の鳥がウイルスを保有している可能性は残っている。養鶏場内の鶏糞や堆肥置き場には冬季でも発生するハエなど昆虫類を採食するため、セキレイ類やツグミ類など昆虫を食物とする鳥が採食に集まる。ハエには活性のあるウイルスが蓄積する可能性があるので、これらの鳥が採食によりウイルスに感染することにも注意する必要がある。
図 日韓での強毒鳥インフルエンザ発生地の位置
図中の数字は各国での発生順を示す。2003年の韓国の感染発生は陰城市で初めて確認され,天安市に広がった。2006年12月21日に野生のカモ類の糞からH5N1ウイルスが見つかったのも天安市である。
2) 青海湖からヨーロッパへの拡大
2004年以降の感染拡大方向および時期と渡りとの関係を表に示した。中国の青海湖では2005年、2006年の両発生ともインドガンが感染し死亡したが、越冬地のインドでは異常は見られていない。青海湖に生息する鳥類の主な越冬地は、インドやバングラディッシュなどの南アジアである。2004年の1月から2月には中国全土で感染が見られ、青海湖に近い蘭州や渡り経路上のラサ周辺でも発生があった。インドガンは青海湖あるいは青海湖に近い渡りルート上で感染したと考えるのが自然である

2005年4月の中国青海湖での発生の後、ヨーロッパからアフリカ、インドまで感染が拡大した。これをすべて渡り鳥によるものとの論調もあるが、鳥類の生態からは不適切である。西シベリアでの感染発生前に、距離的に近い中国西端で感染が発生していた。前述のとおり、中国では2004年の冬の段階で、全土で感染が起こっており、交易を通して感染拡大が起こり得ることが示されている。

西シベリアで感染が拡大した時期は繁殖期にあたり、鳥類は営巣地周辺から移動しない時期である。主要な感染拡大要因としては、中国西部から感染の拡大が主要な交易路沿いに西進している点に注目すべきであろう。

拡大が、渡りのルートおよび時期と重なるのは、西シベリアからルーマニアなど黒海沿岸への拡大と、ルーマニアや黒海沿岸から北ヨーロッパへの拡大である。渡り鳥から家禽への感染については、狩猟行為により野鳥が家庭に持ち込まれることが注目されている。
2005年の2月にはアフリカのナイジェリアで感染が発生した。2月は、南下の渡りではなく北上の渡りが始まる時期である。ナイジェリアでは、感染地域からのヒナの輸入があったことがバードライフインターナショナルにより指摘されている。
表 感染の伝播と渡りルートとの関係

感染拡大地域感染時期渡りとの関係
韓国から日本 12月下旬から
2月初旬
主要なわたり時期は終了しているが、近距離なので移動はありえる
東南アジアから青海湖 4月下旬主要な渡り経路ではない
青海湖から西シベリア 7月主要な渡り経路ではなく、移動時期でもある
西シベリアから黒海沿岸?中東 9月から10月主要な渡りルートであり、移動時期でもある
黒海沿岸?中東からナイジェリア 2月渡りルートであるが移動時期ではない
西シベリアからインド 2月主要な渡りルートであるが移動時期ではない
黒海沿岸?中東から北ヨーロッパ 2月主要な渡りルートであり、移動もありえる
東南アジアからロシア?アラスカ、オーストラリア主要な渡りルートであるが渡りルートに沿った発生はない
2.野鳥の感染事例
 野鳥への感染事例も多くなっているが、どのように感染が起こったかわかっている事例はほとんどない。比較的感染の状況がわかっている事例を紹介する。

1) 京都のハシブトガラス
2004年2月の京都府丹波町での発生では、ハシブトガラスに二次感染が起こったことが確認された。発生養鶏場で死体を鶏糞集積場に放置したため、1,000羽前後のカラス類がこれを採食していたとされる。

京都府および環境省による調査では、発生地周辺30k圏の6か所のねぐらでの、目立った死亡数の増加はなかった。3月から4月中旬までに京都、大阪、兵庫県の3県で拾得されたカラス類396羽中、感染が確認されたものは9羽のみであった。この感染個体の7羽は3月4日と5日に京都と大阪で収拾されたもので、4月5日以降は感染確認がなかった。ニワトリを採食した個体のみ感染が起こり、ハシブトガラス間での感染は継続しなかったと考えられる。

2) タイのスキハシコウ
 タイのBoraphet鳥類保護区では、2005年1月18日から2月3日の間に、496羽のスキハシコウが死亡したとされる。発生地はバンコクの北約30kmの水田地域で、総生息数は5,000羽以上と推定される集団営巣地である。

スキハシコウが採食する水田は、養殖アヒルの野外飼育にも使われている。スキハシコウは、感染アヒルの糞が付着した巻貝を採食するなどで、水田で感染した個体が集団繁殖地で他個体に感染を広げたと考えられている。集団繁殖地では、営巣間隔が狭く他個体の糞がかかることも多いほか、営巣場所近くの池では群れで休息するので、水を介して感染が容易に起こることが推測される。しかし、家禽の感染がコントロールされて終息すると、スキハシコウの感染も終息した。

3.野鳥への感染拡大要因
1)感染要因と野鳥
野鳥への感染等が生じる場所や機会には以下のようなものが挙げられる。

飼育場所への侵入:飼料の散乱やハエなどの昆虫類の発生があると、野鳥が食物を求めて屋内や養鶏場内に侵入する。防除には給餌および衛生管理の徹底が必要である。物理的に侵入を防ぐには、窓や通気口に格子間隔が3cm以下の網やフェンスを設置する。

糞:有機肥料として農地に散布される鶏糞にウイルスが含まれていると、広範囲に感染が広がる。東南アジアにおいては、養魚場の生産性を上げるために鶏糞等を散布する方法が奨励されていたが、これが感染拡大の一因であったのではないかとの指摘もある。養魚場はカモ類やサギ類、シギ?チドリ類も訪れる。

ゴミや残滓:感染養鶏場等から出たゴミや感染家禽の死体を野外に放置した場合には、カラス類やトビ、ハゲワシ類などが採食し、感染する可能性が高い。感染家禽肉が市場に出ていた場合には、養鶏場以外でも感染が起こりえる。

飼い鳥市場:税関での検査で、クマタカやインコ類の感染が確認された事例がある。これは、飼育下で感染したものと考えられる。多種の鳥が多地域から集められて飼育される飼い鳥市場は、感染症の交換の場となる可能性が高い。

その他の感染拡大要因:狩猟は、感染個体を人家周辺に持ち込む行為となる。野鳥の移動を引き起こし、感染を拡大させる要因となる。給餌場や水のみ場の設置は、様々な種の多くの個体が同じ場所を利用し、互いに感染する状況を作り出す。

2)感染防止に必要な調査研究
野鳥からの感染リスクを低減するために必要な調査研究には以下のようなものがある。
ウイルス調査:野鳥がウイルスを保持しているかどうかの監視調査は、ほぼ世界的に行われている。

渡りのルートと時期の把握:渡りルートや渡り時期の詳細が判明していれば、発生があった場所の位置と時期で、渡りルート上の地域で飼育場への侵入防止策の強化や狩猟の制限など、警戒態勢をとることができる。渡りルートを明らかにするための標識調査の強化や人工衛星による追跡調査が、中国、ロシア、日本、アメリカなど各国で進められている。

野鳥への感染防止策の検討:家禽周辺に生息する野鳥の種類と生態?行動から家禽や感染要因と野鳥との接点がどこにあるかを明らかにする。

最後に
強毒のH5N1鳥インフルエンザは、野鳥にとっても脅威である。短絡的に野鳥の駆除が実施される場合もあるが、これは野鳥を始めとする生態系に悪影響を与える上に、かえって感染を拡大させる恐れもある。鳥インフルエンザ問題は、ウイルスと家禽および産業、野鳥相互の関係を明らかにしなければならない。それには、これが地域および地球規模での生態系管理の問題でもあるという認識を持って、対策にあたらなければならない。

野鳥と高病原性鳥インフルエンザに関するインターネット上の情報
第3回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの内容:鳥インフルエンザ(6)野鳥の感染とその現状
平成19年3月9日に開催された第3回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムのうち、演題「野鳥の感染とその現状」を紹介する。残りの演題と総合討論については、次号以降に順次紹介する。

野鳥の感染とその現状
 
自然環境研究センター研究主幹 米田久美子

1.高病原性トリインフルエンザ
高病原性鳥インフルエンザが3年ぶりに日本で発生した。2004年に79年ぶりに突然発生した本疾患は、ほぼ同時期に東南アジアに広がり、その後、ロシアから欧州、アフリカへと拡大した。この3年間に数多くの調査研究が行われ、この疾患の原因であるウイルスの変化の状況が明らかになってきた。

2004年当時の教科書にはだいたい以下のようなことが書かれていた。鳥インフルエンザウイルスは主にカモ類など野生の水鳥類が無症状で体内に保有しているウイルスで、多くの型がある。一般に水鳥の鳥インフルエンザウイルスはニワトリやシチメンチョウなどの家禽に対して感染力が弱く、病原性も低い。

しかしその中に一部、ニワトリなどに感染した後、代を重ねる間に強い毒性を示すように変化するものがある。そうしたウイルスを高病原性鳥インフルエンザウイルスと呼び、家禽の感染症対策では他の鳥インフルエンザウイルスとは区別して扱われる。

これまで高病原性鳥インフルエンザウイルスは、鳥インフルエンザウイルスのうち、H5型とH7型のみで知られている。野生鳥類が鳥インフルエンザウイルスで大量に死亡した事例は一例しか知られておらず、それは1961年南アフリカにおいてH5N3型高病原性鳥インフルエンザウイルスの感染によりアジサシが1,300羽以上死亡した例である。

人間のインフルエンザ予防ワクチンは毎年流行に合わせて型を変えなければならないという話からもわかるように、インフルエンザウイルスは変化しやすいウイルスで、遺伝子レベルの解析では同じ流行の間でも全く同じと言えるウイルスは検出されないという。

H5N1型鳥インフルエンザウイルスにもいろいろな株がある。GenBankという遺伝子データベースには1959年以来、2007年2月13日現在でH5N1型鳥インフルエンザウイルスが1,410株も登録されている。しかしこの内、1991年以前の分離株は13株のみで、いずれもイギリスまたはアメリカ?カナダからの分離株である。その中に野生鳥類からの分離も3株あるが、すべてニワトリに対して弱毒性のウイルスで、分離された野生鳥類にも症状などは見られなかった。

遺伝子解析技術の進歩、サーベイランスの増加、遺伝子データベースへの登録は研究者の自由意志によるもの、など種々の要因があり、このデータベースに登録されている株数は必ずしも発生状況を反映するものではないが、1997年以降中国を中心としたアジアからの分離株の数が急増し、日本で発生の見られた2004年以降は毎年数百の株が登録されている。現在までに家禽以外の野生鳥類種(飼育下を含む)から分離された株は約200株に上る。こうした状況から、1997年頃に何か変化が起きたことが推測できる。

2.野生鳥類での発生
1997年、香港でH5N1型高病原性鳥インフルエンザウイルスの感染が発生し、ニワトリなどの家禽が多く死亡した他、人間にも感染が起きた。このウイルスは1996年に中国広東省のガチョウから分離された株から変化したものとわかった。そしてこのウイルスはさらに変化をとげて、2002年に香港の二カ所の公園で約150羽の水鳥類の死亡を引き起こした。これはそれまでの「鳥インフルエンザウイルスはカモ類などの野鳥には病原性を示さない」という常識を覆す現象であった。

発生場所は市中の公園で、一カ所は主に飼育鳥類における発生であったことから、発生過程や発症した種、しなかった種などについて詳細な報告がある。その報告からは、飼育されていた水鳥類ではガン類やフラミンゴ類の死亡率が高く、カモ類では南北アメリカを原産とする種類や、旧世界原産の種類の中ではアカハシハジロの死亡率が高いことがわかる。

また、同じ池にいながら、死亡しなくてもウイルスを分離した種類、死亡もせずウイルスも分離しなかった種類などがあったこともわかり、ガンカモ類の中でも種による感受性の差が存在することが推測できる。

次に野生鳥類の大量死が起きたのは2005年5月の中国内陸部の青海湖で、インドガンを中心としてチャガシラカモメ、オオズグロカモメ、アカツクシガモ、カワウなど、2ヶ月間に約6,000羽が死亡した。また、同年8月にはモンゴルのロシア国境に近い二つの湖で約90羽のインドガン、オオハクチョウなど水鳥類の死亡が発生した。

これらの地域では翌2006年にも再発し、青海湖では4月にインドガンを中心に死亡が発生したが、5月にはチベット自治区でもインドガンやヒドリガモが死亡した。モンゴルとロシアの国境周辺の湖でも6月にハクチョウ類やカモメ類、ガン類の死亡が見られた。

一方、2005年10月から2006年5月にかけて、ヨーロッパでコブハクチョウを中心とした水鳥類の死亡が多発したが、特にドイツではハクチョウ類、ガン類、カモ類、ワシタカ類などの野生鳥類の死亡が多く見られた。青海湖での発生以降に野生鳥類の死亡をもたらしたウイルスの株は、すべて青海湖株と呼ばれる同一起源の良く似た株とされている。

3.H5N1型高病原性鳥インフルエンザウイルスに対する野生鳥類の感受性
高病原性鳥インフルエンザウイルスに対する鳥類の感受性の種差は、株によって異なる。H5N1型は2002年より前の株ではニワトリやシチメンチョウなどのキジ目の鳥は感受性が高く、アヒルやガチョウなどのカモ目の鳥は感受性が低かった。

しかし2004年に東南アジアに広まった高病原性鳥インフルエンザウイルスではアヒルが死亡するようになり、上記のように、野生のガンカモ類やカモメ類が多数死亡する状況も発生している。また京都の例のように、ニワトリなど家禽における発生時に二次的に野生鳥類が感染した例も報告されている。

ニワトリに対する病原性はウイルスのアミノ酸配列から判断ができるようになったが、ガンカモ類についてはまだそこまでわかっていない。しかし家禽のアヒルやガチョウを使った病原性試験が実施されていれば、その結果からそのウイルス株が野生のガンカモ類に対して病原性があるか否かが推測できる。

野生鳥類を対象として感染実験を実施した報告は多くない。これは健康な野生鳥類を入手することが難しいことに加えて、アイソレーターの中で野生鳥類を長期間飼育することが難しいためである。野生下での高病原性鳥インフルエンザの発生報告では、死亡した種についての記載はあっても、同じ環境に生息していたが発症?死亡しなかった種類の記載はほとんどない。

しかし発生前の生息状況報告等を参照すると、そうした種が推測される。これまでに感染や発生時の状況、病原性試験の結果などが報告された約130種の鳥類の結果を検討してみると、H5N1型高病原性鳥インフルエンザウイルスに対して感受性の低い種の存在が推察される。

鳥インフルエンザウイルスは本来の宿主であったカモ類に対して病原性を示さない方向に進化する、という説がある。病原性を示さずに感染して、かつウイルスを排泄する種がいれば、それらの鳥類はこのウイルスの感染拡大に一役を担うことになる。今後も野生鳥類の感染状況を継続的にモニタリングし、感受性に関する研究を進め、高病原性鳥インフルエンザの感染における野生鳥類の位置づけを正確に解明していく必要がある。
研究室訪問 X:獣医学部獣医寄生虫学
ひさしぶりに研究室訪問を再開した。「農と環境と医療」を連携できる研究の素材や人を求めて、さまざまな職場を探索している。第24回目は、獣医学部獣医寄生虫学研究室の小山田隆教授を訪ねた。小山田教授は他にも数名おられる獣医学部の第1回目の卒業生で、学部の歴史に詳しい。

この研究室は、小山田隆教授、工藤 上講師、筏井宏実講師で構成されている。筏井講師は現在ジョンズ?ホプキンス大学で研究を続けている。研究分野の概要と課題を以下に列記する。

研究分野の概要:動物には宿主の種に応じて多種多様な寄生性蠕虫類及び原虫類がみられる。それらの自然界における生活様式(生態学)や病害作用も単純なものから複雑なものまである。また、多くのものは動物固有種であるが、人への感染性を保持するものも少なくない。近年、人の生活様式や食生活の変化に伴う輸入寄生虫病や人獣共通寄生虫病の増加傾向が問題視されている。当研究室では野外調査を踏まえて種々の実験的検討を進める。

講座重点研究等主な研究課題(研究室重点研究など)

X-1.牛の消化管内寄生虫に関する研究(研究室重点研究)
放牧を主体とする環境保全型畜産における消化管内寄生虫感染の実態を把握し、その特性に基づいた適切な防除プログラムの策定を進めている。
X-2.日本顎口虫症の薬剤療法に関する研究(研究室重点研究)
未だ有効な薬剤療法が確立されていない日本顎口虫症について、各種 駆虫薬に対する感受性の検討を行う。
X-3.バベシア感染症に関する研究(研究室重点研究)
バベシア原虫の細胞接着及び侵入メカニズムの分子機構解明を中心に検討を進める。

学外研究機関との共同研究

X-4.ピロプラズマ原虫のマダニ体細胞への付着及び侵入機構の解明(日本学術振興会)
ピロプラズマ原虫感染症の制圧に最も重要となるピロプラズマ原虫増殖ステージにおけるマダニ体細胞への付着及び侵入に関連するレセプターとリガンド因子を検索し、その蛋白質発現解析に基づくピロプラズマ原虫のマダニ体細胞への付着及び侵入機構の解明を行う。
X-5.馬バベシア症の診断に関する分子疫学的研究(帯広畜産大学)
馬に寄生するバベシア属原虫について、遺伝子工学的手法を用いた特異的診断法の開発を継続するとともに、将来の臨床応用に向けての検 討を加える。
X-6.地域連携政策研究(青森県、七戸畜産協同組合、農林水産省)
循環型畜産の展開に関する地域と連携した研究の一環として、寄生虫性疾患の予防対策について検討する。
X-7.媒介マダニ体内適応におけるバベシア原虫の変動現象:原虫蛋白質の発現動態から(文部科学省科学研究費)
媒介マダニ体内での発育段階における適応反応機構の特徴を明らかにする。

学内共同研究

X-8.循環型畜産確立のための家畜の飼育評価法の検討(循環型畜産研究プロジェクト)
獣医学科、動物資源科学科、生物生産環境学科、フィールドサイエンスセンター、動物病院の3学科2施設による共同研究。動物、草地、土、水における物質循環の観点から、持続可能な環境保全型畜産の可能性を探る。特に放牧病対策に視点を置いて調査?研究を行う。

 「農と環境と医療」を連携するための研究課題キーワードには、「窒素」、「有害物質」、「重金属」、「安全食品」、「未然予防」、「リスク」、「教育?啓蒙」、「インベントリー」、「農業?健康実践フィールド」、「病原微生物」、「環境微生物」、「環境保全」、「環境評価」、「食と健康」、「感染」、「ホルモン」、「光の波長」、「環境応答」、「放射線(アイソトープ)」、「免疫」、「神経」、「内分泌」、「生体機能」などがあった。今回の環境衛生学研究室の内容は、「感染」および「病原微生物」に関連が深いと考える。

これらの研究課題キーワードについては、これまで各方面からご意見を頂いた。23回目の訪問を最後に、新しくキーワードを整理すると記した。しかし、今回さらに訪問を追加したので、改めてキーワードの整理をしたく、しばらく時間を頂きたい。あと残り2研究室を紹介する予定である。この他、農医連携にかかわる研究室があれば紹介いただきたい。
シンポジウムの開催:医薬品等プリオン安全性フォーラム
日本医薬品等ウイルス安全性研究会の主催、日本PDA製薬学会?博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@の協賛により「医薬品等プリオン安全性フォーラム」が以下の通り開催される。

開催日:2007年6月29日(金)
会 場:博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@薬学部コンベンションホール
12:20受付開始 
13:00会長挨拶山内一也 (会長)
13:10
 
講演1 座長:中山哲夫(博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@) 
人獣共通感染症との40年のかかわりを振り返る山内一也
(東京大学名誉教授)
13:50
 
講演2 座長:山口一成(国立感染症研究所) 
プリオン感染の危険性とその対策北本哲之(東北大学)
14:30
 
講演3 座長:浜口 功(国立感染症研究所) 
輸血?移植におけるプリオン安全対策岡田義昭
(国立感染症研究所)
15:10休憩 
15:25
 
講演4 座長:山口照英(国立医薬品食品衛生研究) 
血液製剤のプリオン安全対策辰田武司
((株)ベネシス)
16:05
 
特別講演 座長:山内一也 
WHO guideline on tissue infectivity distribution in TSE and current situation of FDA Dr. David Asher
(CBER, FDA)
16:50総合討論 司会:吉川泰弘(東京大学)?大塚龍郎(日本ゼラチン組合代表)
17:25閉会の挨拶山口一成
(国立感染症研究所)
世話人:吉川泰弘(東京大学)、大塚龍郎(日本ゼラチン組合代表)
会場案内:博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@薬学部コンベンションホール、東京都港区白金5-9-1
バス路線:渋谷-恵比寿-田町, 北里研究所前(田87系統)
地下鉄:日比谷線広尾駅、南北線/都営三田線白金高輪駅下車徒歩10分
参加費(当日受付):会員3000円、官学は無料

問い合わせ:
布施 晃(国立感染症研究所) akfuse@nih.go.jp
小長谷昌功(博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@) m-kohase@kitasato-u.ac.jp

入会申し込み:
(事務局)財団法人?北里環境科学センター
Tel/Fax:0427-78-8883
事務局長:梶岡実雄(ウイルス部長)kajioka@kitasato-e.or.jp
研究会ホームページ:http://www0.nih.go.jp/niid/meetings/viral-safety/
本の紹介 28:北里柴三郎、長木大三著、慶應義塾大学出版会(1986年初版、2001年5版)
80年の逆巻く怒濤の生涯を見事に生き抜いた北里柴三郎は、1931年6月13日逝去した。すでに読んでおられる方も多いと思うが、今回は北里柴三郎の命日の月である6月に因んで、博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@元学長の長木大三先生が書かれた「北里柴三郎」を紹介する。

ドンネル(ドイツ語で雷の意)の男こと北里柴三郎は、マンスフェルト、長与専斎、コッホ、福沢諭吉などを師として仰ぎ、中浜東一郎、緒方正規などの同郷の輩や同僚に囲まれ、高木友枝、北島多一、志賀 潔、秦佐八郎、宮島幹之助、野口英世、高野六郎、金井章次などの弟子を世界に雄飛させた、江戸の晩年に生まれ近代国家の創世記の明治と、モダニズムといわれた大正、そして満州事変が起こる昭和初期を力強く生きたノーベル賞受賞者に匹敵する日本が誇りとする偉大な科学者の一人である。

この本を紹介する前に、「情報:農業と環境と医療 1号」に紹介した「山崎光夫著、ドンネルの男?北里柴三郎」の一部を以下に紹介する。「ドンネルの男?北里柴三郎」は、小説家が書いた作品、長木大三の「北里柴三郎」は、医者であり科学者であり教育者である博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@元学長が書いた作品である。両者の違いを眺めてみるのも面白いであろう。以下「ドンネルの男?北里柴三郎」の一部を紹介する。

「明治国家は、廉潔で透明な現実主義そのものであった。江戸期に培われた教養と文化を余すところなく放出した。多くの若者が夢を持ち、維新を躍進させ、国家を改造し、新国家を設計し、新しい科学を導入した。常に自己と国家を同じものととらえ、「坂の上の雲」をめざして沸きたつような活力に満ちていた。

ドンネルの男たる北里柴三郎は、医学におけるこの種の若者であった。北里については、これまで数多くの著述があるが、この本ほど北里と共に生きてきた人々のことが書かれたものは少ないであろう。

北里は多くの人々に恵まれた。啓蒙思想家で教育者の福沢諭吉、第6代日本銀行の総裁に就任した松尾臣善、伝染病研究所の設立に尽力した長与専斉、医学界の競争相手の青山胤通、弟子で赤痢菌を発見した志賀 潔、陸軍軍医総監で文学者の森林太郎、北里の人生を決定づけたオランダ医師のマンスフェルト、ペスト菌発見の論文を英訳してくれた英国人医師ラウソン、ドイツが生んだ細菌学の世界的泰斗ローベルト?コッホ。北里の医学者としての成功は、これらの人々の支えにあった。そしてこれらの人々を愛した。今では、このような人間関係を見つけることが難しい。あの時代は、人が全体で生きていた。

明治という国家がそうであったように、北里の生涯は劇的な出来事に充ち満ちていた。北里はすべての事象に激しく怒り、激しく喜び、そして激しく泣く。清廉で実に透明な現実主義者であった。

北里の「医道論」に「医者の使命は病気を予防することにある」とあるように、病気のきたる所以を探して歩いた。例えば、長崎で発生したコレラ調査の仕事の合間には町に出て、道路や井戸、排水の具合など路地裏の環境を見て回った。寄生虫による肝臓ジストマ症については、肝蛭の肝臓への伝染経路を紹介している。肝蛭を有する蝸牛を食する羊に注意を促している。実学そのもので、そこでは物質循環のとらえ方がすでに完成している。医学のもとに環境を深く見つめていた北里柴三郎がそこにあった。」

ここで「ドンネルの男?北里柴三郎」の紹介を終える。

前段が長くなった。ここから長木大三の本の紹介に入る。目次は次の通りである。

はじめに/若き日の北里/ドイツへの旅/日本に帰る/福沢翁との出会い/伝染病予防対策の確立/コッホの訪日/医療行政の取り組み/婦人問題について/北里研究所の創立/コッホとパスツールの頌徳/晩年の北里/明治村の北里研究所本館?医学館?北里先生のことども 興れ!北里学!!/北里五傑と三高弟/北里柴三郎略伝/あとがき/

当然のことではあるが、この本には北里柴三郎がもつ医者の目、科学者の目、教育者の目、大学管理者の目、国家構造創設者の目などが随所に散乱している。以下にこの本の目次に沿い脈略を無視して、それらの「目」を記載し、この本の紹介としたい。

● 「若き日の北里」:明治18年(1885)、北里は「コグ氏結核黴菌試験法」と題して痰中結核菌の染色法を中外医新法に詳細に記載している。ここではコッホのことをコグと記載している。北里がコッホと記すようになったのは、ドイツに渡った後である。その前はコッフ、古弗、コグと表現していたようである。「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言う」と、言ったとか言わなかったとかの笑い話があるように、明治時代の翻訳者の苦労が偲ばれる。

● 「ドイツへの旅」:明治24年(1891)、ケムブリッジ大学のヘンキン教授は、大学に創設される細菌学研究所の所長に招聘したい旨の要請を北里に送った。3~6年の期間で、年俸300ポンドという高額であった。しかし北里は、帰国後はわが同胞の疾苦を救い、聖恩の万分の一に報い奉る考えだからと、招聘を丁重に断ったという。明治を開拓した人々を育んだ吉田松陰の厳しい言葉が思い起こされる。

天地には大徳(たいとく)あり 君父(くんぷ)には至恩(しおん)あり
徳に報ゆるに心をもってし 恩を復(かえ)すに身をもってす
此の日再びし難く 此の生復(ふたた)びし難し
此の事終えざれば 此の身息(や)まず

これに対して、長木大三は次の想いをこの本に書いている。「もしも北里が、その当時としては最高の条件で申し出られたこれらの機関の招聘に應じて外国で研究生活を続けていたとしたら、北里研究所の誕生はなく、慶應大学医学部も果たしてどうだったろうか。博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@も無論ない。一人の人間の存在価値は実に重い。」。社会に貢献した、あるいは貢献している約5万人に及ぶ博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@の卒業生もまたこの世にないであろう。ましてや、この学長室通信の情報も世に存在しない。

● 「日本に帰る」:ドイツから明治25年(1892)に帰国した北里は、精力的に数多くの仕事をした。伝染病研究所の設立がそのひとつである。この研究所の所長の責めを全うした。この間、ペスト菌、赤痢菌の発見をはじめ、腸チフス、赤痢、コレラ、ペスト、ジフテリアなどの伝染病の予防撲滅に尽くした。さらに、わが国最初のサナトリウム養生園を経営した。また、皇漢医継続問題の重要性を鋭く強調したり、恙虫病の病原を研究し、リケッチアの研究に先鞭をつけた。

予防ワクチンの学術報告および啓蒙講演にも多くの精力を尽くした。ペスト菌の発見のみならず、その撲滅をも自分の使命と考え、国内各地はもちろんのこと、遠く満州へも渡り、情熱を持ってペスト防疫の実際を指導した。

明治30年(1897)、助手の志賀 潔を指導して世界で初めて赤痢菌を発見した。志賀 潔にとっては、弱冠27才の頭上に輝いた栄冠である。このように優れた指導者がいて助手が業績を挙げた場合、師と弟子の連名で発表されるのが通例であった。しかし、北里は志賀 潔ひとりの名前で発表させた。これは驚くことであった。今なお、研究をせず論文に名前だけを連ねている学者がこの世にゴマンといることを思うと、この当時の北里の心の紀律たるや驚き以外の何者でもない。

明治28年(1895)秋、北里はコレラ病血清療法について長時間の演説を行っている。ここでも、コレラ菌の分離から免疫血清の製造にいたる一連の実験は、北島多一によるものであると紹介している。またこの演説の中で、今日われわれが生物工学とよぶbioengineeringの夢についても語っている。科学者としての卓見が読み取れる。

● 「伝染病予防対策の確立」:伝染病を予防するために尽力した北里の姿が、以下の項目のもとに紹介される。コレラ菌道程論争/伝染病予防法大意/細菌学大意/伝染病の療法/衛生講演/コレラ、チフス、赤痢の撲滅/結核の予防撲滅/流行性脳脊髄膜炎/医育問題/万国学芸会議/花柳病予防/浅川賞/

浅川範彦は、明治25年(1892)に福沢諭吉の援助でできた伝染病研究所に最初に弟子入りした助手であった。明治32年には伝研部長になり、血清製造、丹毒療法、腸チフス診断法などを開発したり、講習生の手引き書として「細菌学実習」三冊を刊行したりして、北里の信任が厚かった。しかし、8年間に亘る肺疾患の後に昇天した。

この愛弟子の夭折(ようせつ)を悼んで設定されたのが、浅川賞である。微生物学に貢献した優秀な研究者に毎年賞金が贈られる。永遠に師が愛弟子を讃えるこのような賞は、世界にも類例がないという。

● 「コッホの訪日」:北里が終生の恩師と仰いだコッホの訪日は、北里にとって夢のまた夢の想いであったろう。この項を書いている筆者ですら、アメリカで学んだときの恩師を日本に迎えたときの歓びは、筆紙に尽くしがたい。

「コッホの訪日」は、ローベルト?コッホ/コッホの書翰/欧州見聞談/緒方教授在職二五年記念祝辞/恩師コッホを弔う辞/からなる。ここでは、2, 3のエピソードを紹介するに止める。

恩師コッホに北里がどれほど傾倒していたか。それに答えるコッホ夫人の証言がある。北里のドイツ文字の筆跡がコッホと瓜二つであったそうだ。第一次世界戦争のあとマルクの暴落で急迫したコッホ未亡人に、北里はコッホに対する敬愛の念は揺るぐことがないという内容の書翰とともに、多額の金品を贈った。北里の好意に応えた夫人は、グレフェの描いたコッホ肖像画を贈ってよこした。この肖像画はいまも北里研究所にある。

コッホは1910年(明治43)5月27日逝去した。その後、伝染病研究所は追悼式を行い、「コッホ神社」を研究所の中に設けた。ご神体は、コッホが日本に滞在中に保存しておいた頭髪と爪である。今では、ローベルト?コッホと北里柴三郎を合祀した神社が博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@白金キャンパス正門の側に安置されている。

コッホは希にみる日本贔屓の学者であった。日本の風土をこよなく愛した。アメリカを旅行中の北里への手紙に「ああなつかしき日本よ。余はすぐにも亦日本へ帰り度候。」とある。また、「花」という名の女中をドイツに伴っている。

● 「医療行政へのとりくみ」:ここでは、北里が学問のみならず医療に関する国家構造の創設者であったことが証明される。戦後は国家試験が施行されるようになったが、医師試験を医科大学で行うことに尽力した。また労働者の保護を配慮するために、夫婦共稼ぎのための保育所を設置するよう衛生会雑誌に述べている。さらに、貧民救済の道をつくるよう積極的な社会政策の実施を呼びかけたりした。

● 「婦人問題について」:北里は、専門知識の普及にも意を注いだ。そのことがこの章で理解できる。日本婦人が小用を耐えることができないこと、タバコによるニコチン中毒のこと、家族の健康診断が必要なこと、接吻は伝染源だから将来においてもこのような悪弊は流行させぬようにすること、など今時の若者が聞けば驚くような事項を細かに普及させている。

● 「北里研究所の創立」:このことについては、様々なところで紹介されているので項目を紹介するに止める。伝研移管問題の発端/伝研辞職の述懐/北里研究所の創立/演説:学問の神聖と独立/慶應義塾医科大学の抱負/

● 「晩年の北里」:医政/野口英世/衛生博覧会/北里学よ興れ!/が、この章の項目である。北里は、貴族院議員に勅撰され、医政にも直接関与することになった。公衆衛生の振興に尽力し、医師の連合体の組織化を図り、東京医師会長になった。その後、大正6年(1917)に各府県医師会を併合して、大日本医師会を発足させた。大日本医師会は、大正12年(1923)に貴衆両院の議を経て、現在の日本医師会となった。北里は初代会長になった。

明治31年(1898)、野口清作は北里の門を叩いた。この年、英世と改名した野口は翌々年の明治33年(1900)に渡米した。野口はアフリカの異境に散るが、北里はかつての弟子を偲んで愛情溢れる哀悼の辞を贈っている。「??実ニ悲哉???徳ハ孤ナラズ必ラズ隣アリト??」。

● 「明治村の北里研究所本館?医学館」では、明治村へ研究所の建物が移管された心温まる経緯が書かれている。「北里先生のことども 興れ!北里学!!」では、昭和59年(1984)12月21日に開催された博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@薬学部創立20周年記念講演における著者の講話が掲載されている。「北里精神」では、開拓、報恩、叡智と実践、不撓不屈の北里精神が解説される。「北里五傑と三高弟」では、高木友枝、北島多一、志賀 潔、秦 佐八郎、宮島幹之助、野口英世、高野六郎、金井章次の略歴が紹介される。

北里柴三郎が逝去した月に因み、先生を偲んで再読をお勧めする。
本の紹介 29:毒か薬か環境ホルモン 環境生殖学入門、堤 治著、朝日新聞社(2005)
環境問題は点から面を経て空間にまで及び、いまでは時間をも超えてしまった、と機会あるごとに書いてきた。例えば、点とは土壌や飲料水の重金属汚染によるイタイイタイ病、面とは有機水銀の河川?海洋汚染による水俣病、空間とは温室効果ガスの発生と循環による地球温暖化現象などである。時間とは、生殖器官を通して世代を超えて移行するであろう環境ホルモンとよばれる化学物質の問題である。この本は、この時間を超えた環境問題を分かりやすく解説したものである。

環境ホルモンという言葉は、1997年NHKの「サイエンスアイ」という科学番組に始まったという。その後、1998年には新語?流行語大賞にも輝いた経緯がある。正確な用語で表すと、外因性内分泌撹乱化学物質あるいは単に内分泌撹乱物質となる(英語でも、endocrine disruptors, environmental endocrine disruptors, environmental hormone disruptors, environmental hormone など多様)。正確な表現を良しとする厳格な化学者の前で環境ホルモンと言うと、怪訝な顔をされることがしばしばある。しかし、環境ホルモンという言葉を使用したために、国民の関心が高まり、行政も動き、研究も発展し、日本を環境ホルモン研究の先進国に導いた事実は重い、と著者は語る。

現代の科学文明を支えている大きな力の一つに化学の進歩がある。10万を超えると言っていいほどの化学物質が、地球上に存在する。化学物質は文明を進展?拡張させてきた。化学物質がなければわれわれのこの豊かな(物質的に)生活はなりたたない。化学物質のなかった時代に決して後戻りできない。この化学物質の中には、環境ホルモンと言われるものがある。目には決して見えないが、環境中に着実に蓄積しつつある。環境(土壌?水?大気?生き物)とヒトに影響を及ぼしながら。

この問題の警鐘は、レイチェル?カーソン著の「沈黙の春」(1962年)に始まる。続いて、野生動物の生殖異常(ワニのメス化、短小性器、巻き貝のオス化など)、シーア?コルボーンら著の「奪われし未来」(1996年)により、全世界は環境ホルモンが野生生物の生殖に異変を起こすことを知り、衝撃を受けた。その影響から、世界中の研究者が環境ホルモンについての研究を行った。わが国でもダイオキシン類対策特別措置法が1999年に成立した。

この間、流産予防薬DESと膣ガン、人間の精子の減少、絶滅危惧種、両生類?は虫類?魚類?鳥類?ほ乳類などの生殖機能異常などの問題が浮上してきた。

「ほんの数年前まで環境問題への関心は高くなかった」産婦人科医が、この問題に取り組み、生徒の質問と著者の回答という解りやすい形で書かれたのがこの本である。著者は、30年にわたり産婦人科医として患者を診察し、生殖医学の研究にも携わり、体外受精治療の発達や、それを支え伸ばす医学の急速な発展も目にしてきた医者である。

本書は、過剰反応したメディアに先導されて、環境ホルモンが人類の滅亡に繋がると煽るような論調のものではない。環境ホルモンの影響は、はっきり目に見える形で現れないが、胎児期の被爆が出生後の遺伝子の動きに影響を与えるかも知れないといった論調で書かれている。

遺伝子の動きに変化が生じれば、性の分化が障害されたり、出生後にガンが生じたり、人間の性格や物の考え方が変わるかも知れない、また遺伝子の発現パターンによって、発ガンのリスクや免疫機能や神経行動が変わったりするかも知れないという論調で書かれている。要は、ヒトの生殖機能を中心に、科学的なデータに基づいて、環境ホルモンの作用を冷静に検証しようとするものである。

この項の執筆者は、かつて地球温暖化やオゾン層破壊が論じられていたとき、温暖化するか否か分からないが、地球は一つしかないので、温暖化したりオゾン層がなくなる前に対策を練らなければ手遅れになると書いたことがある。

環境ホルモンについて、著者は上と同じようなことを述べている。「環境ホルモン問題が虚構であるか否かは歴史が証明するでしょうが、そのときになってから対応しようにも、もはや手遅れかもしれない、ということが環境ホルモンの難しさです」。地球温暖化の現実が進行している今、この言葉は、われわれの頭上にきわめて重くのしかかる。目次は以下の通りである。
はじめに 
序章:未来への不安/環境生殖学のめばえ/リスクとメディアと環境生殖学
第一章:ダイオキシンによる大統領暗殺計画?
疑惑のディナー/データに基づく分析?救命のための提案/ダイオキシンを体外に排出すし除去する方法
第二章:精子への影響
2050年ヒトの精子がなくなる?/精子の旅、精巣の旅
第三章:生殖の仕組みと女性の病気
ライフサイクルと環境ホルモン/増え続けるエストロゲン依存性疾患
第四章:次世代への影響
DESから学ぶ/環境と性比/キレる子ども/発育促進
第五章:環境ホルモンを知る
環境ホルモンとは何か/合い鍵としての環境ホルモン/ピルは環境ホルモンか/身近にある環境ホルモン
第六章:環境ホルモンの現在?過去?未来
環境ホルモンの問題点/環境ホルモン報道/環境ホルモンを減らす努力/毒か薬か環境ホルモン/ドリームチャイルド
おわりに環境ホルモン情報リンク/参考文献?図版出版/環境ホルモン関連主要業績
言葉の散策 16:回と度
語源を訪ねる 語意の真実を知る 語義の変化を認める
そして 言葉の豊かさを感じ これを守る

「第3回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウム」の「回」と、「仏の顔も三度まで」の「度」の違いは何であろうか。「今回の研究によれば」の「回」と、「今度の研究によれば」の「度」の違いは何であろうか。判然としないものがある。

「小学館日本国語大辞典」には次のような説明がある。「回」:1) 一定の事項を継続、反復して行う時、それを区切った一つのまとまり。「回を重ねる」、2) 数または順序に関する語に付いて、回数を表すにいう。

「度」:1) 物事の程度をさしていう。ほど。限り。2) ころ。時代。多く時代を表す語に付けて用いる。3) 測量、測定する器具に記された目盛り。また、その単位。4) 割合、数を表す語に付けて用いる。5) 仏語。生死を海にたとえ、迷いの世界であるこちらの岸(彼岸)から、証果のあちらの岸(彼岸)に達することをいう。また、菩提の修行をいう。6) 仏門にはいって出家受戒すること。

「度」には慣用句が多い。度が過ぎる。度が抜ける。度に当たる。度を得。度を失う。度を過ごす。

こう観てくると、「回」は回を重ね、また繰り返すという意味で、次々にまた起こり得るものを数えるときに使うようである。水が流れる、すなわち時間の経過に伴って再びめぐってくる事象を呼称するもののようである。第4回、次回、三回忌などがそうで、これらに度をあてることはできない。

「度」は、慣用句から推察されるように物事が度重なっていくことで、直接時間とは関係なく、これまでの経験や行為を数え、再びそれが繰り返されては困ることや、次に起こり得るかどうか予想が難しい場合などに使うようである。「回」のように単なる時間や回数でなく、人生の教訓など含め、十分気をつけて数えることに焦点が向いている。人生や恋愛に三回失敗した男と、三度失敗した男の顔色が異なるのは当然であろう。

このように整理してみると、これまで疑問をもっていた論文の読み方も少しは解消できる。例えば、「三回の実験の結果」と「三度の実験の結果」では、意味が相当異なる。もはや説明は不要であろう。しかし論文の筆者が、「回」と「度」の意図を判然と区別しているかどうかは、別であるが。英語の論文では、いずれも「three times」であろう。

この他にも、さまざまな専門分野で異なる数え方があるのも面白い。イヌや微生物の論文では3匹、ウシの論文では3頭、サカナでは3尾、インフルエンザに罹った鳥は3羽など、多彩である。日本語には数え方のための助数詞が約600種類あるという。日本語だけでなく、助数詞はアジアの諸言語で広く発達している。

なぜ東アジアで数え方が発達するのか。数え方を豊富に持つ言語には、冠詞がない、名詞の複数形がない、名詞に性がない、という3つの共通する特徴があるという。これらのことが、豊富な助数詞の増加を促すという。数え方に関心のある方は、以下の資料を参照されたい。

参考資料
  • 数え方の辞典:飯田朝子著、小学館(2001)
  • 日本国語大辞典:小学館(1979)
  • 字通:白川 静、平凡社(1997)
コラム:仁和寺にある法師
農と医を連携する教育や研究の遂行を目指して、2年の歳月が経過した。これまで、学長室に所属する教職員がこの任にあたってきた。昨年の7月には、学部などから選出された教員から構成される博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携委員会が新たに設置された。

この間、学長室通信として毎月1日に「情報:農と環境と医療(すでに27号)」を発刊してきた。また、博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウム(3回)を開催し、その成果は「博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携学術叢書」と題した本にして、養賢堂からすでに2冊刊行してきた。秋には3冊目が刊行される。

教育については、今年の4月から農医連携論と題して獣医学部の3学科と医学部で一部開始されることになった。このことは「情報:能と環境と医療 25号」に詳しい。

この他、学部横断型研究プロジェクトを創出するために、農医連携に関係するであろう博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@関連の26研究室を訪問し、それぞれの研究室の研究課題を調査してきた。これに関しては、研究室ごとにキーワードを設定し、研究課題が創出できるマトリックスを作成してきた。この成果は、現在進行中のプロジェクト作成の参考資料に供している。

その他、農医連携に関する国内外の動向を探索し、関連する事項や組織との共存体制を確立するため鋭意努力している。また、学外へ向けた農医連携の教育?啓蒙?普及にも努力している。例えば、相模原市と協力した事業やシンポジウムを展開しており、その成果は農水省の「農業白書」にも紹介されている(詳細は次号に紹介予定)。また、将来進めなければならない課題に、農医連携の企業化推進や学内における農医連携センター構想などが残されている。

しかし限られた人材と時間と予算で行っている農医連携の構築において、常に頭をよぎるのは、吉田兼好の「徒然草」の第52段にある「仁和寺にある法師」の話である。有名な石清水に一度も参拝したことがない法師が、思い立って一人で出かけた。麓にある末寺末社を拝んで、よいお参りができたと帰ってしまったという話である。

それにしても法師は、あの時に参拝の人たちが皆、山に登って行くのが気になっていた。山の上で何事かがあったのか。気にはなったが、神へ参るのが目的なのだと思い、山上まではいかなかった。実は、石清水は山の上にあった。

結論はこうだ。入り口だけ眺め、ものの本質を捕まえることを忘れるな。「先達はあらまほしきことなり」、つまり「案内者は持ちたいものだ」と言っているのである。原文は以下の通りである。

「仁和寺に、ある法師、年よるまで石清水を拜まざりければ、心憂く覺えて、ある時思ひたちて、たゞ一人かちより詣でけり。極樂寺、高良などを拜みて、かばかりと心得て歸りにけり。さて傍の人に逢ひて、年ごろ思ひつる事果たし侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも參りたる人ごとに山へのぼりしは、何事かありけむ、ゆかしかりしかど、神へまゐるこそ本意なれと思ひて、山までは見ず。とぞいひける。すこしの事にも先達はあらまほしきことなり。」

まことに心許ないことであるが、農医連携の教育や研究には「先達」がいない。しかし、「先達」は過去の識者や知恵だけではあるまい。辛口の評論、理路整然とした痛烈な批判、慇懃無礼な評価、これらすべてが「先達」の声の裏返しと思えばよい。いかに「先達」がいないとはいえ、農医連携の教育と研究の遂行を断念することはできないと、中国の古典「菜根譚」の一節を思い起こしながら自分に言い聞かせる。

舎己毋処其疑、処其疑、即所舎之志多愧矣:己を舎(す)ててはその疑いに処することなかれ、その疑いに処すれば、すなわち舎つるところの志、多くは愧ず。

われわれが遂行している農医連携にかかわる諸々の課題に関して、忌憚のない批判?意見?評価、さらに、われらが想いを致さない貴重な知恵、目から鱗が落ちるような発想をお聞かせいただきたい。「仁和寺にある法師」にだけはなりたくないのである。
*本情報誌の無断転用はお断りします。
博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@学長通信
情報:農と環境と医療27号
編集?発行 博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@学長室
発行日 2007年6月1日