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農医連携教育研究センター 研究ブランディング事業

32号

情報:農と環境と医療32号

2007/11/1
医学部学生の「八雲牧場体験演習」が終わる
平成19年度から農医連携に関わる教育が開始されたことや、その内容の概略については、既に「情報:農と環境と医療 25号」でお知らせした。「農医連携」に関わる講義は、医学部の1年生を対象に行われる「医学原論?医学原論演習」の一部、さらに獣医学部の1年生を対象に行われる「獣医学部入門I」、「動物資源科学概論1」および「生物環境科学概論I」の一部として行われた。いずれも夏期休暇前に終了した。

さらに、医学部では夏期休暇を利用し「医学原論演習」の一環として、獣医学部附属フィールド?サイエンス?センター(FSC)八雲牧場で行う「八雲牧場訪問及び講義」の参加希望者を募集した。この演習には6人の学生(男女それぞれ3人)が参加し、8月20~22日の3日間の日程を終えた。内容は、牧場見学、講義、演習(牛追い?ベーコン作り?投薬?鼻紋取り)、懇親会などであった。

将来医師を目指す学生の、貴重な演習の体験感想を要約すると次のようである。

  • 人間は自然を支配するのではなく、自然の中にいきていくべきであると思います。これは家畜の飼育においても同じだと思います。なるべく手を加えず、本来の生命を最大限に発揮させるという八雲牧場の方針はすばらしいと思います。
  • この実習を是非、後輩にも体験してもらいたいし、自分達も八雲牧場の良さをたくさんの人に伝えられたらなと思う。博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@にはこんなすばらしい牧場があり、北里の誇りであると思う。
  • 実習に来る前は、どんなことをするのかと思って心配していたが、実際に実習を行ってみると思ったよりも楽しく、また医学の心得やこれからの医療に関する話を聞くことができて、これからの大学生活に対する意識が高まったように思う。この実習を大学生活、医師になるうえで役立て、医師になっても思い出していけるようにしたい。
  • ここ数年、自然とかけ離れた生活を送っていたので、こんな大自然に囲まれて、様々なことを経験させていただき、本当に楽しくて興奮しました。
  • 正直、最初は牛も好きではなかったし、虫も多くていやだったけれども、だんだん実習をしていくうちに慣れてきて、やっぱり何事もチャレンジしてみるものだなと思った。まじめに指導していただいたので感動した。
  • 医学原論演習で「八雲牧場体験演習」を体験することができ、本当によかったです。初めにこの牧場の眺めを見たとき、感覚として「スイスに似ている!!」と感じました。お話を聞くと、スイスと同じようにたくさんの種類がいるということで、いろいろな種類がいた方がいいと思います。東京にいたら、もしかすると一生体験することのないたくさんのことを学ぶことができました。「食」は「医」にとても近い存在であること、人は動物に感謝しなければならないことを実感しました。

なお、この演習は、医学部の齋藤有紀子先生、岩本孝一氏、獣医学部の萬田富治先生をはじめ多くの教職員の協力によってなされた。ここに感謝の意を表したい。ありがとうございました。また、八雲牧場の中井淳二氏から次のような書状を頂いたので紹介する。

「八雲牧場として初めて獣医学部以外の実習を行うことが出来、職員全員がとてもリフレッシュできたと感じています。来年以降も継続していけますよう、ご支援よろしくお願い致します。また、この実習の後に医療衛生学部の女子学生7名が北海道旅行の途中で八雲に一泊しました。その時に医学部の話をしましたら、"こんなすばらしいところでならば、どの学部もやりたいと思います"とか"医療衛生学部はやらないのですか。やるなら是非参加したい"との声が挙がりました。私も、全学部学生による八雲牧場訪問が何時の日か実現できればと思います。ご協力宜しくお願いいたします」。

八雲の風

「八雲の道」といえば「歌道」であるが、ここでは八雲牧場に因んで「八雲の風」を紹介する。北海道二海郡八雲町の小栗 隆氏が、平成19年度(第46回)農林水産祭天皇杯を受賞された。「飼料穀物多給型から放牧酪農へ!ゆとりある豊かな楽しい経営を実践」と題した、畜産部門での受賞である。

受賞の特色は、資源循環型の放牧酪農による生産コストの大幅削減?高所得、粗飼料自給率100%を支える資源循環型の草地管理技術と草地集積、放牧による省力管理でゆとりある生活の創出、地域社会に調和した活動の推進、などである。

これらの技術と経営の在り方は、農業の国際化に対応し、全国の中山間地域や耕作放棄地を利用する酪農モデルにもなり、「次世代に継承できる持続可能な酪農経営」として、全国的な模範で普及できる可能性を秘めている。

ところで、この農家は日頃から八雲農場と放牧技術を介して交流が続けられており、この技術を活用した農医連携のさらなる普及の深化が期待されるところである。
第4回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの音声映像と資料画像
平成19年10月12日に開催された第4回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの映像音声と資料画像は、本学のホームページの「農医連携」(/jp/noui/spread/symposium/sympo04.html)で見ることができます。
第4回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの内容:(1)開催にあたって
平成19年10月12日に開催された第4回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの開催趣旨、講演プログラム、挨拶を紹介する。

開催趣旨

人類は、文明の進歩とともに地殻から大量の金属を採掘し、地上にそれを拡散させた。とりわけ産業革命により、重金属の必要性は空前の勢いで高まった。その結果、採掘する重金属の種類と量は増大し、必然的に土壌や海洋や大気へ拡散した。このことによって、重金属の生物地球化学的な循環が乱されることになる。

重金属の生物地球化学的な循環が乱されるとは、何を意味するのか。これまで順調に循環していた重金属が、大気に土壌に海洋に過剰な負荷を掛けることになる。土壌に入った過剰な重金属は作物に吸収される。海洋に拡散した重金属はそこに生息する魚介類に摂取される。

その結果、それらを食する人間や動物は、通常より過剰な量の重金属を体内に蓄積する。さらに、その重金属は次の世代の人間や動物に引き継がれることにもなる。食物連鎖による蓄積、世代を超えた人間への重金属の集積である。重金属汚染は、時間と空間を超えた問題なのである。

局在的にではあるが、われわれは不幸にもこのことをすでに経験している。カドミウムによるイタイイタイ病や水銀による水俣病がそれである。将来、この現象は潜在的ではあるが地球上のいたるところで起こる恐れがある。

すでに、FAO(国連食糧農業機関)およびWHO(世界保健機関)により設置されたコーデックス委員会は、食品の国際規格を作成して、食品中のカドミウムなどの規制を法律化している。

この地球にあまねく生存する生命にとって、とくに動物や人間が消費する食物にとって、適切な重金属濃度で生体を維持することは、きわめて重要なのである。地殻から自然界に拡散された重金属は、最終的には土壌?海洋?河川から植物?魚介類?動物を通して人間の体内に蓄積される。このような重金属の問題を解決するためには、農と環境と医療の研究を連携させることが必要なのである。

今回はカドミウムとヒ素を中心に、それらの挙動を生物地球化学、土壌、植物、臨床環境医学および法律の視点から追い、農医連携の科学の一助としたい。
講演プログラム

13:00~13:05開催にあたって博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@学長
柴 忠義
13:05~13:20重金属の生物地球化学的循環-カドミウムとヒ素を中心に-博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@教授
陽 捷行
13:20~14:00農耕地土壌の重金属汚染リスクとその対策農業環境技術研究所土壌環境研究領域長
小野 信一
14:00~14:40植物による重金属集積と人への摂取東京大学教授
米山 忠克
14:40~15:10コーデックスの状況と我が国の取り組み農林水産省消費?安全局農産安全管理課
瀬川 雅裕
15:20~16:00カドミウム摂取の生体影響評価
-耐用摂取量推定の試み-
博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@教授
太田 久吉
16:00~16:40コーデックス基準策定と食の安心?安全にまつわる戦い-カドミウム、クロロプロパノール、ホルムアミドを例として-自治医科大学教授
香山 不二雄
16:40~17:20臨床環境医学から見た重金属問題博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@教授
坂部 貢
17:20~17:50総合討論香山 不二雄?陽 捷行

参考:これまでに行われたシンポジウムとそれに関わる出版物

第1回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウム農?環境?医療の連携を求めて
(博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携学術叢書 第1号、養賢堂、2006)
第2回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウム代替医療と代替農業の連携を求めて
(博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携学術叢書 第2号、養賢堂、2007)
第3回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウム鳥インフルエンザ-農と環境と医療の視点から-
 (博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携学術叢書 第3号、養賢堂、2007)
開催にあたって
博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@学長 柴 忠義

第4回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの開催にあたり、主催者を代表しまして一言ご挨拶申し上げます。

わが国の近代医学と衛生行政の発展に多大な貢献を果たした北里柴三郎博士が、25歳のときに著した「医道論」(明治11年:1878)の最初の部分に、医道についての信念が次のように書かれております。「昔の人は、医は仁の術、また、大医は国を治すとは善いことをいう。医の真のあり方は、大衆に健康を保たせ安心して職に就かせて国を豊に強く発展させる事にある。人が養生法を知らないと身体を健康に保てず、健康でないと生活を満たせる訳がない???人民に健康法を説いて身体の大切さを知らせ、病を未然に防ぐのが医道の基本である。」

また、本学医学部開設当初に講演され、同学部の現在の講義科目「医学原論」においても縁の深い澤瀉久敬(おもだかひさゆき)博士は、彼の著書「医学概論とは」(誠信書房、1987)で概ね次のようなことを語っております。

医学とは何を研究するのか。生命の哲学ではない。医の倫理でもない(ただし、医学概論の一つではある)。医道論だけでもない。医学は、物理的な生命現象だけでなく精神現象も考慮する。単に自然科学とだけ考えるのではなく、社会科学でもなければならない。病気を治す学であり術である。病気の治療と予防に関する学問であるだけでなく、健康に関する学問でもある。これは、単に健康維持の学問であるばかりでなく、すすんで健康を増進する学問でもなければならない。

北里柴三郎博士と澤瀉久敬博士のこれらの著書は、医学は病気の治療?予防、健康の維持?増進、精神の面を含めて解決にあたるべき学問だと指摘しております。これを満足させるためには、人びとの生活の基である食(農)と環境を健全かつ安全に保つことがきわめて重要であります。食と環境が健全でなければ、人びとの健康はありえないことが指摘されております。環境を通した農医連携の科学の必要性は、すでに先人によって説かれているのであります。

生命科学のフロンティアをめざす博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@では、このような観点から農学、環境、医学の分野が密接に連携し、先人が指摘したさまざまな問題、さらには現代社会が新たに直面している感染症、食の安全性、地球温暖化などの問題に、教育?研究の面から鋭意努力しております。この博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムも、その一環として開催しているものであります。

今回は、食の安全性の視点からカドミウムとヒ素を中心に、それらの挙動を生物地球化学、土壌、植物、臨床環境医学および法律の視点から追い、農医連携の科学を発展させるための一助にしたいと、考えております。

このシンポジウムにおいて、有意義で実践的な議論が展開され、食と環境を通した健康の問題に対し、新たな発想や示唆が生まれることを期待しております。開催にあたり、講演を快くお引き受けいただいた諸先生方に心から感謝申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。
第4回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムの内容:(2)重金属の生物地球化学的循環-カドミウムとヒ素を中心に-
平成19年10月12日に開催された第4回博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@農医連携シンポジウムのうち、演題「重金属の生物地球化学的循環-カドミウムとヒ素を中心に-」を紹介する。残りの演題と総合討論については、次号以降に順次紹介する。

重金属の生物地球化学的循環-カドミウムとヒ素を中心に-
博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@ 陽 捷行
 
All substances are poisons: there is none which is not a poison.
The right dose differenciates a poison and a remedy.
あらゆるものは毒である:毒でないものはない。
あらゆるものを毒でなくするのは、その用量だけである。
Paracelsus(1493-1541)

はじめに

われわれが生活している近代文明は、大量の重金属に依存しなければ成立しない。歴史をふりかえってみても、人類の発展と重金属の使用量との間にはきわめて深いかかわりあいが認められる。

銅はすでに紀元前6,000年に、鉛は紀元前5,000年に、亜鉛や水銀は紀元前500年にひとびとによって使われていた。これらの事象は、堆積物、極の氷のコアや泥炭に含まれる重金属の分析から明らかで、重金属による環境へのインパクトが歴史的にも検証されている。ローマ皇帝の時代には、鉛の使用量がきわめて多かったことも確認されている。

19世紀に入って産業革命が始まり、それ以後、重金属は近代社会にとってますます不可欠なものになってきた。その結果、地殻から採掘される重金属の種類と量は増加し、必然的に土壌、植生、海洋、大気への揮散の度合いは指数関数的な増加を示した。このことによって、重金属の生物地球化学的な循環が乱されることになる。

重金属の生物地球化学的な循環が乱されるとは、何を意味するのか。これまで順調に循環していた重金属が、大気に土壌に海洋に過剰な負荷を掛けることになる。土壌に入った過剰な重金属は作物に吸収される。海洋に拡散した重金属はそこに生息する魚介類に摂取される。

その結果、それらを食する人間や動物は、通常より過剰な量の重金属を体内に蓄積する。さらに、その重金属は次の世代の人間や動物に引き継がれることにもなる。食物連鎖による蓄積、世代を超えた人間への重金属の集積である。重金属汚染は、時間と空間を越えた問題なのである。

農業?農学の目的は、安全かつ十分な食料や衣類などに利用する生物資源をひとびとに供給することにある。そのためには、環境が保全されなければならない。医療?医学の目的は、ひとびとを病気から救い、ひとびとの健康を守ることにある。そのためにも、農業?農学と同じように環境が保全されなければならない。環境を無視した生産も健康もありえない。

食料や生物資源の生産を阻害する要因、さらにはひとびとの病気や健康に影響を及ぼす要因にはさまざまなものがある。その中の重要な要因の一つに有害金属による環境汚染があげられる。

有害金属のなかには、カドミウムのように植物の生育が阻害されない濃度レベルでも、人を含む動物には有害となる金属もある。したがって、有害金属による環境汚染の問題は農業?農学、さらには医療?医学にとって避けて通ることの出来ない課題である。

局在的にではあるが、われわれは不幸にもこのことをすでに経験している。カドミウムによるイタイイタイ病や水銀による水俣病がそれである。将来、この現象は潜在的ではあるが地球上のいたるところで起こる恐れがある。

すでに、FAO(国連食糧農業機関)およびWHO(世界保健機関)により設置されたコーデックス委員会は、食品の国際規格を作成し、食品中のカドミウムなどの重金属の規制を法律化している。

この地球にあまねく生存する生命にとって、とくに動物や人間が消費する食物にとって、適切な重金属濃度で生体を維持することは、きわめて重要なのである。地殻から自然界に拡散された重金属は、最終的には土壌?海洋?河川から植物?魚介類?動物を通して人間の体内に蓄積される。このような重金属の問題を解決するためには、農と環境と医療の研究を連携させることが必要なのである。

今回はカドミウムとヒ素を中心に、それらの挙動を生物地球化学、土壌、植物、臨床環境医学および法律の視点から追い、農医連携の科学の一助としたい。

文明の進歩にともなう重金属の拡散

地球規模での環境問題が注目され始めて、各分野で重金属の問題に注目が集まってきた。誤解を恐れずに物事の流れを手短に言えば、人類は、文明の進歩とともに地殻から大量の金属を採掘し、地上にそれを拡散させてきた。とりわけ、産業革命のため金属の必要性は空前の勢いで高まった。それまで、重金属類は太古の昔から地下で静かに眠っていたのである。歴史をふりかえると、人類の発展は重金属に負うところがきわめて深い。現代文明は、大量の重金属に依存しなければ成立しない。堆積物や北極の氷床のコアや泥炭に含まれる重金属の分析から、重金属の環境へのインパクトが明らかにされている。

ローマ帝国の時代、高級な生活をするためには大量の重金属が必要であった。とくに鉛は年間8~10万トン、銅は1万5千トン、亜鉛は1万トン、水銀は2トン以上が使われた。錫なども同様に必要であった。当時、鉱山の経営は小規模であったが、大量の原鉱を制御せずに開放系で精錬していたので、大気中にかなりの量の微量金属を揮散させていた。その結果、地殻から採掘される重金属の種類と量は増加し、必然的に土壌、植生、海洋、大気への揮散の度合いは増加した。

世界人口の増加とそれに伴う重金属の使用量の増大は、必然的に自然界に重金属をふりまく結果となり、様々な生態学上の問題を起こしている。土壌、水、生物などに含まれている重金属は、過剰な濃度になれば生命のシステムに毒性影響を与えるけれども、多くのものは健全な生命を営むためには不可欠なものである。したがって、自然界に生存するそれぞれの生命にとって、また動物や人間が消費する食物にとって、適切な重金属濃度を知ることがきわめて重要なのである。自然界に放出された重金属は、最終的には土壌-植物-動物を通して人間の体内に蓄積されることからも、土壌中での重金属の挙動についての知見を蓄積することもまた重要である。まさに、「農業と環境と医療」の連携研究が必要な課題なのである。

過去と現在の重金属の分布比較

具体的な数字を紹介する。Hongら(1994)の研究は、500BCと300ADの間に北西グリーンランドで沈積した氷床コアの鉛含量がバックグランドの約4倍であったことを示している。このことは、ローマの鉱山と精錬から揮散によって鉛による北半球の汚染が広がったことを意味している。

鉛の含量は、ローマ帝国が没落すると、もとのレベル(0.5pg/g)になって、それからヨーロッパの鉱山ルネッサンスとともに少しずつ上昇しはじめ、1770年代には10pg/gに、1990年代には50pg/gに達した。1970年代から、北極の雪の鉛含量が減少するが、これは北アメリカやヨーロッパで無鉛ガソリンを使用するようになったからであろう。

拡散した大気の鉛汚染は北半球に限らない。Woff and Suttie (1994)は、1920年代に北極の雪に堆積した鉛の平均含量(2.5pg/g)は、バックグランド(0.5pg/g以下)に比べて5倍高いことを報告している。北極に比べて南極の鉛レベルが低いのは、南半球での鉛の発生が少ないためである。

他のタイプの堆積物の研究から、古代の地球規模での鉛の汚染が明らかになった。スウェーデンのさまざまな場所の湖の堆積物の分析によれば、紀元前2千年あたりに鉛の堆積のピークがあり、紀元前千年ころから少しずつ増えはじめ、産業革命の初めにバックグランドの10から30倍に達し、19世紀の間にさらに加速し、1970年代にピークになっている(Renbergら、1994)。

スイスのエタ?デラ?グルイエのombrogenic bogの記録は、紀元前2千年の鉛の堆積が、最大で最近の堆積物と同じ値を示すことを明らかにしている。鉛の堆積のピークで同じような値が、ローマ時代でもヨーロッパの泥炭の沼で報告されている。これは、イングランドのBristol近郊のGordano ValleyとDerbyshireのFeatherbed Mossである。

このように世界はさまざまな金属で汚染されつつある。次世代に健全な環境を残すという倫理をもつには、現実は実に厳しいのである。ここでは人の健康に深く関わり、日本の公害病として、また食品中の成分としてCODEXで検討されてきたカドミウムとヒ素について取り扱う。

カドミウムとヒ素

わが国には、環境省が認めた公害病が4つある。カドミウムによるイタイイタイ病(認定患者187人)、ヒ素による慢性ヒ素中毒(188人)、有機水銀による水俣病(2,995人)、大気汚染による呼吸器疾病(53,502人)がそれである。

今回のシンポジウムに登場する公害病のうちのカドミウムとヒ素については、これまで数多くのシンポジウムや研究や総説がある。しかしながら、生物地球化学、農学、土壌学、環境科学、臨床環境医学および法律の視点から、これらの科学を統合知として捉えようとする試みは数少ない。

演者はカドミウムとヒ素について、生物地球化学から農学および土壌学へのつながりの部分を紹介する予定でいる。参考までに、以下に世界と日本におけるヒ素とカドミウムの被害について紹介する。

世界と日本におけるヒ素とカドミウム被害

1)帯水層の地下水、鉱山および地熱水にかかわるヒ素問題の地域

帯水層のヒ素の影響:アメリカ(ウエステム)、メキシコ(北中央?ラグネラ)、チリ(アントフォガスタ)、アルゼンチン(チャコ-パンペアン)、ハンガリー?ルーマニア(グレイトハンガリアン)、ネパール(テライ)、中国(山西省?貴州省?内モンゴル?シャンシー?新疆ウイグル自治区)、バングラデシュ(西ベンガル)、インド(西ベンガル)、ヴェトナム(レッドリバーデルタ)、カンボジア(メコン川)、ミャンマー(エーヤワディ川)、パキスタン(インダス川)など。

鉱山由来のヒ素の影響:アラスカ(フェアーバンク)、カナダ(ブリティッシュコロンビア)、アメリカの7地域(ダレーン?クラークリバー?レークオーエ?ヴィスコンシン?ヘリファックス?バジャ?ドンペドロ)、メキシコ(ジマパンバレー)、ブラジル(ミナスゲライス)、ガーナ(アサンチ)、ジンバブエ、イギリス(サウスウエスト)、ポーランド(サウスウエスト)、オーストリア(スチリア)、ギリシャ(ラブリオン)、韓国(グボン)、タイ(ロンプブン)、インドネシア(サラワク)など。

地熱水のヒ素の影響:ドミニカ、エルサルバドル、アメリカ(アラスカ?ウエステム)、チリ(アントフォガスタ)、アルゼンチン(ノースウエスト)、フランス(マシーセントラル)、ニュージーランド(ワイラケイ)、ロシア(カムチャッカ)、日本(宮崎?島根)など。

2)カドミウムによるわが国の農用地土壌汚染対策地域

カドミウムによるわが国の農用地土壌汚染指定地域は、2006年3月現在で60地域、合計6,228haに及ぶ。指定地域とは玄米カドミウム濃度が、1.0mg/kg以上を汚染地域に指定している。北は秋田県から南は熊本県の22県に及ぶ。すでに、90%にあたる5,618haが対策事業を完了している。

3)ヒ素によるわが国の農用地土壌対策地域

土壌汚染防止法で定められた基準値以上のヒ素が検出された地域は、全国で14地域(391ha)である。2006年3月現在、ヒ素によるわが国の農用地土壌汚染対策地域は、7地域、合計面積164haで、以下のように全部解除?事業完了の措置がとられている。なお、対象となる土壌のヒ素含量は15mg/kg以上である。

次の地域が対策地域に指定された。青森県下北郡川内町(13.5ha、全部解除)、島根県太田市(7.3ha、全部解除)、島根県益田市(27.3ha、全部解除)、島根県鹿足郡津和野町(66.1ha、事業完了)、山口県美祢郡阿東町(8.4ha、全部解除)、大分県大野郡緒方町(27.7ha、全部解除)、宮崎県西臼杵郡高千穂町(13.5ha、事業完了)

指定地域のうち、島根県と宮崎県には慢性ヒ素中毒患者が公害患者として、それぞれ21人、167人認定されている。
本の紹介 32:ガイアの復讐、ジェームズ?ラブロック著、秋元勇巳監修?竹村健一訳、中央公論新社(2006)
はじめに

著者のラブロックは、これまでガイアに関する数多くの本を世に問うている。「地球生命圏-ガイアの科学」、「ガイアの時代」、「GAIAガイア:生命惑星?地球」、「ガイア:地球は生きている」、「ガイアの思想:地球?人間?社会の未来を拓く」などが、そうである。ここで紹介する本は、著者のラブロックが87歳になった2006年に出版した「The REVENGE of GAIA」を文字通り「ガイアの復讐」と訳して出版したものである。

Oxford University Press から1979年に「Gaia: A new look at life on earth」と題した本が出版された。この本が「地球生命圏-ガイアの科学」(工作社)としてわが国で出版されたのは、1984年である。翻訳?出版されるのに5年の歳月が経っている。

続いて、W.W. Nortonから1988年に「The ages of Gaia」が出版された。この本は「ガイアの時代」(工作社)と題してわが国で1989年に翻訳?出版された。われわれは、原著出版の翌年にはこの本を翻訳文として読むことができた。

今回の原著「The REVENGE of GAIA」と訳書「ガイアの復讐」は、いずれも2006年である。われわれが翻訳文を手にしたのは、原著と同年ということになる。この3冊の本の原著と翻訳の時間的な流れをみるだけでも、ひとびとの地球生命圏ガイアへの関心の強さがうかがえる。さらに、地球が温暖化しつつある現実も、ひとびとの地球生命圏への関心を高めている。

「Gaia: A new look at life on earth=地球生命圏-ガイアの科学」が世に出て、新たに出版された「The REVENGE of GAIA=ガイアの復讐」をわれわれが手にするまで、27年の歳月が経過している。優に四分の一世紀の長きにわたる。生まれた子が、小?中?高?大学?修士?博士の教育課程を経た歳月である。この「情報:農と環境と医療」の読者に、仮に博士課程以下の学生がいたとすれば、彼らは「GAIA: A new look at life on earth=地球生命圏-ガイアの科学」の出版を知らないことになる。

したがって「ガイアの復讐」を紹介する前に、まず上述したラブロックの他の主要な2冊を簡単に解説しなければならない。この2冊の本の理解の上に立って、はじめて「ガイアの復讐」を読む意味があると思うからである。

地球生命圏-ガイアの科学、工作舎(1984)

この本は、現在の地球問題を考えるうえで、あらゆる分野の多くの技術者や科学者に多大な影響を与えた。今から23年前の翻訳本であるが、若い研究者に是非読んでもらいたいため、ここに紹介する。

ガイアとは、ギリシャ神話に語られる「大地の女神」のことである。遠いむかし、ギリシャ人は大地を女神として敬い、「母なる大地」に畏敬の念を抱いていた。この考え方は歴史上あらゆる国や民族にもみられ、いまなおわれわれの信条の基になっている。もちろん、わが国の「古事記」にもこの概念をみることができる。なかでも、石や土を称えた石土毘古神(いわつちびこのかみ)が敬われている。

一方、近年、自然科学の発展と生態学の進展にともなって、地球生命圏は土壌や海洋や大気を生息地とするあらゆる生き物たちの単なる寄せ集め以上のものである、という推測が行われている。著者の J.E. Lovelock は、この仮説を本書で実証しようとする。つまり、地球の生物と大気と海洋と土壌は、単一の有機体とみなせる複雑な系を構成しており、われわれの地球を生命にふさわしい場として保つ能力を備えているという仮説の実証である。

彼は化学者として大学を卒業し、生物物理学?衛生学?熱帯医学の各博士号を取得し、医学部の教授をへて、NASAの宇宙計画のコンサルタントとして、火星の生命探査計画にも参加した。また、ガスクロマトグラフィーの専門家で、彼の発明した電子捕獲検出器(FPD)は、環境分析に多大な貢献をしている。

「沈黙の春」の著者レイチェル?カーソンの問題提起のしかたは、科学者としてではなく唱道者としてのそれであったと説き、彼は生きている地球というガイアの概念を、天文学から動物学にいたる広範な科学の諸領域にわたって実証しようとする。

本書は第1章から第9章、訳者後記、用語の定義と解説、参考文献から成っている。参考文献は、微生物から宇宙にいたるまで幅広く、なかでも、Science, Nature, Tellus, J.Geophys.Res., Atm. Environ., SCOPE などの雑誌は、宇宙や地球や環境の研究に従事している学者や研究者にもなじみ深い文献である。

第1章では、火星の生命探査計画に始まる地球生命への新たな視座、すなわち地球とその生命圏との関係についてのひとつの新しい概念を提起し、ガイア仮説を述べている。

第2章では、ガイア誕生のための太初の生命の出発、生命活動と大気の循環、生命圏による環境調整について語る。

第3章では、他の惑星との大気組成の比較、微生物の活性などによってガイアを認識させようとする。

第4章では、ガイアのもつサイバネティクスを温度調節と化学組成の調節を例にとって解き明かしていく。

第5章では、生理学者が血液の成分を調べ、それが全体として生命体のなかでどのような機能を果たしているかを見るのと同様な扱いで、現在の大気圏をとりまく空気の成分を解説する。ここでは土壌や海洋から発生するメタン、亜酸化窒素、アンモニア、二酸化炭素などのガスが生命圏の安定状態の維持に重要であることが語られる。

第6章では、海洋が〈彼女〉の大切な部分であることを、「海はなぜもっと塩からくならないか」というテーマや、硫化ジメチルなどの化学成分の海洋から大陸への旅で説明する。

第7~8章では、ガイアと人間について論じている。人間の諸活動がもたらす危険を注意深く監視するのに必要な最重要地域は、熱帯の湿地帯と大陸棚であると強調する。また、オゾン層の増減には常に気を配ることを力説する。そして、ガイアの自己調節活動の大半は、やはり微生物によるものと考えていいとする。さらにガイア仮説と生態学を比較し、「ガイア仮説は、惑星の細部ではなく全体を明かした宇宙空間からの地球の眺望を出発点としている。一方、生態学のほうは全体像というよりは、地についた自然史と、さまざまな生息地や生態系の緻密な研究に根ざすものである。かたや森をみて木がみえず、かたや木をみて森がみえない」と説く。

第9章では、人間とガイアの相互関係における思考や感情という、ガイア仮説のうちでもっとも推測的でつかみにくい側面を語っている。 以上がこの訳書の概略である。本書の前半の6つの章は、いわゆる自然科学の領域で理解できるものであろう。けれども、ガイアと人類について論ずる最後の3つの章はきわめて信条的で難解な部分が多い。しかし、本書のような観点から地球をとらえたとき、地球の研究がいかに生命圏の維持、保全に重要なものであるかが理解されよう。著者は語る。「ガイア仮説は、散策したりただ立ちつくして目をこらしたり、地球やそこで生まれた生命について思いをめぐらせたり、われわれがここにいることの意味を考察したりすることの好きな人びとのためのものである」と。

まえがき/第1章:序章/第2章:太初(はじめ)に/第3章:ガイアの認知/第4章:サイバネティックス/第5章:現在の大気圏/第6章:海/第7章:ガイアと人間―汚染問題/第8章:ガイアのなかに生きる/第9章:エピローグ/訳者後記/体験的ガイア論/スワミ?プレム?プラブッダ/用語の定義と解説/参考文献

ガイアの時代、工作舎(1989)

この書は、上に紹介した「地球生命圏-ガイアの科学」が執筆された後、その後の科学的知見を基に全面書き直しされたものである。その間、9年の歳月が経過している。

ルイス?トマスは、本書の「序文」で次のように語る。われわれは地球を整合性のある一つの生命システムととらえるようになるだろう。それは自己調節能力と自己更新能力をそなえた、一種の巨大生命体である。ここから直接?間接に何か新しい技術的応用が生み出されるとは思えない。が、将来われわれが選択するであろういまとはちがった種類のテクノロジーに対し、新たな、より穏やかな影響をおよぼしはじめる可能性は大きい。

著者は「はじめに」で、自分はガイアの声を代弁したいだけであることを強調する。なぜなら、人間の声を代弁する人の数にくらべ、ガイアを代弁する者があまりにも少ないからである。また「ヒポクラテスの誓い」と題して、本書の目的の一つに、惑星医学という専門分野が必要で、その基礎としての地球生理学を確立する必要があると説く。

第1章では、この本が書かれた理由を以下のように説明する。本書は、わたしたちが属する世界について一人の人間の見たままを綴ったものであり、何よりも著者にとっても読者にとっても楽しめる本である。これは、田園散歩に出かけたり、コロレンコがしたように友人たちと地球が生きていることについて論じ合ったりする時間をそのなかに含む、ひとつの生き方の一端として書かれたものだ。

第2章は、本書の中で第6章とともにもっとも主要な部分で、生命と生命の条件が解説され、デイジーワールドの進化が提案される。生命としての地球の説明については、観念的には次の文章が理解しやすい。

「なかに次つぎと小さな人形の入った入れ子式のロシア人形のように、生命は一連の境界線のうちに存在している。もっとも外側の境界は、地球大気が宇宙と接するところである。この惑星的境界線内部で、ガイアから生態系へ、動植物へ、細胞へ、DNAと進むにつれ、生命体の大きさは縮小するが生育はどんどん盛んになってゆく。」

第3章では、地球生理学的視点から見た地球の歴史を、デイジーワールドを使い生命の発祥から今日までたどる。環境が低温の場合は黒いデイジーが優勢で、太陽光を吸収し自身と周辺環境を暖める。高温の場合は白いデイジーが優勢で、太陽光を反射し自身と周辺環境を冷やし、生育に適した環境に調整する、というデイジー?モデルが解説される。

このような地球上の生命が自ら最適な環境に調整するというラブロックとリン?マルグリスのガイア仮説(その後のガイア理論)は、環境への適応により生物は進化すると思っていた者には新鮮である。

第4、5、6章は、科学的に妥当な年代を順番に並べたものである。最初は生命が発生した始生代で、この代の地球上唯一の微生物はバクテリアであり、大気はメタン主体で酸素は微量ガスの一つにすぎなかった。原生代と呼ぶ次の中世の章では、酸素がはじめて大気ガスの主体として登場してから、細胞の集団が集まってそれぞれ独自の個体性を持った新種の共同体を形成するときまでを扱っている。次は、動物が現れた顕生累代についての章である。第6章は、第2章と同様にこの本では重要な部分である。

第7、8、9章は、ガイアの現在と未来を扱ったもので、地球上における人類の存在と、いつの日か火星上にもそれが広がってゆくかもしれない可能性とに力点を置いたものである。第9章では、これまで提出された様々な質問や問題点に解答を試みている。

この本を読んでいて、農業にかかわるひとびとが大きな関心を寄せる箇所がいたる所に現れる。この項の執筆者が見つけただけでも、少なくとも9カ所散在する。簡単に言えば、農林漁業はガイアにとって好ましくない存在であるということである。以下にその代表的な記述を紹介する。これらの指摘をどのように理解するか、反論があればどのように説得するか、認める部分があればその対策をどのようにとるか。われわれに与えられた課題であろう。

「地球の健康は、自然生態系の大規模な改変によってもっとも大きく脅かされる。この種のダメージの源として一番重大なのは農業、林業そして程度はこの二つほどではないが漁業であり、二酸化炭素、メタン、その他いくつかの温室効果ガスの容赦ない増加を招く。」

「われわれはけっして農業なしには生きていけないが、よい農業と悪い農業のあいだには大きなひらきがある。粗悪な農業は、おそらくガイアの健康にとって最大の脅威である。」

序文:ルイス?トマス/はじめに:コームミルの水車場から/ガイアの代弁者として/ヒポクラテスの誓い/第1章:序章/第2章:ガイアとは何か?/第3章:デイジーワールド/第4章:始生代/第5章:中世/第6章:近世/第7章:ガイアと現代環境/第8章:第2の故郷/第9章:神とガイア/エピローグ/訳者あとがき/参考文献

ガイアの復讐、中央公論新社(2006)

上述した2冊の本が出版された後、1990年代に入り地球環境問題が大きく浮上し、「ガイア」という言葉をよく耳にするようになった。しかしその言葉の使われ方には、ラブロック達が唱える「ガイア」とは大きな違いがあった。「ガイア」が地球環境の文脈の中で使われるとき、その多くはあくまでも人間にとっての地球環境として使われているように思われる。しかしラブロックは、人間はあくまでもガイアの一部であり、むしろガイアにとってその調整機能を破壊する有害な存在として捉えている。

「ガイアの復讐」には、このような歴史が端的に語られている。ここでは、ガイアは人間を排除しようとしていることを解説する。ガイアが人間を受け入れるためには、人間の数が多すぎるとも語る。その多すぎる人間を支える基本となっている電気は、核融合や水素エネルギー技術が確立するまで、環境にもっとも負荷の少ない核分裂エネルギーに頼るしかないと記している。

ラブロックは、地球温暖化の臨界点を二酸化炭素濃度で500ppmとしている。北極の氷の溶ける量が増加すれば、氷の中の二酸化炭素が放出されて温暖化に拍車がかかるという。ここでは、ひとびとがあまり語らない閾値(いきち)の問題が見え隠れする。

南太平洋のエリス諸島を領土とするツバル国は、いまや水没の危機にさらされている。気温の上昇による海水の膨張により、日本の海岸に面した平野は水没を逃れるために、防波堤を構築しなければならないだろうか?

地球生命圏にガイアと名付けたラブロックの危機感が、ひしひしと伝わってくる一冊である。電気による現代文明を享受し、それでいて地球の温暖化を叫んでいる筆者たちにとっては、実に手厳しい本である。

ラブロックは地球医学者として、未来の危機を予測する「鉱山のカナリア」なのかもしれない。各章ごとの内容の一部を以下に紹介する。

第一章:地球の現状

著者は、惑星専門の医師の立場から地球の現状を次のように分析する。地球の健康の衰えは、世界で最も重要な問題である。われわれの生命は、まさに地球が健全か否かにかかっているといっても過言ではない。地球の健康への配慮は、優先されてしかるべきである。増加の一途をたどる人類が繁栄するためには、健全な惑星が必要だからである。

地球が若く丈夫だった頃には、不都合な変化や温度調節の失敗にも絶えることができた。だが今では地球も年齢を重ね、昔のような回復力を期待することができない。

前世紀の地球観を次のように攻撃する。われわれはなぜ、人類や文明が直面している重大な危機に気づくのがこうも遅いのだろう。地球温暖化の熱が極めて有害な現実であり、人間や地球の制御できる限度をすでに超えたかもしれないのに、それを理解できずにいるのはなぜだろう。バクテリアからクジラにいたる他の生物も人間も、多様性のあるずっと大きな存在、すなわち生きている地球の一部だという概念に、われわれはいまだに馴染めずにいるのである。

大気中の二酸化炭素濃度や気温によって決まる閾値(いきち)が存在することに、気付かなければならない。ひとたびこの値を超えると、どんな対策をとろうとも、結末を変えることができない。地球はかつてないほどの高温状態になり、後戻りは不可能だ。

必要なのは持続可能な撤退である。われわれはエネルギーを誤用し、地球を人口過剰な星にしたが、だからといって文明を維持するために技術を放棄するわけにはいかないだろう。その代わり、人間の健康ではなく地球の健康を念頭に置いて、技術を賢く利用しなければならない。 トップダウンの全体的見方が、物事を細分化してからボトムアップで再構成するのと同じくらい重要だということが理解されなければならない。

地球が新たな酷暑の状態に向けて急速に動き出したら、気候変動は間違いなく政界や経済界を混乱させるであろう。

第二章:ガイアとは何か

ガイアとは、生物も非生物も含めた総合システムである。ガイアは地殻がマグマと出会う場所、つまり地下約16kmの深さから始まり、さらに海洋と空気を経て16km上空に進み、宇宙との境界にあたる熱圏で終わる。

ガイアは生物圏を含む活発な生理学的システムで、30億年以上の間、地球を生命が存在できる環境に維持してきた。目標は固定的でなく、現在の環境がどうであれ、それに合わせて調節可能だし、どんな形態の生命があろうと適応できる。

ガイアは全体的なシステムである(生命体と物質的環境が結びついている)こと、そして自己調節を進化させたこと、それらは生命や生物圏だけでなく、この巨大な地球のシステムによるものであることに気づかなければならない。そしてガイアは、みずから温度調節や安定した化学成分の維持を管理する。

第三章:ガイアの歴史

惑星の表面積の70~80%に生物が棲んでいると平衡状態になる。もし疫病その他の不幸な出来事で70~80%の生物が潰滅したら、温度と化学組成は調節されなくなり、モデルのシステムは急速に生命なき惑星の平衡状態に落ち込む。

暖かくなるのであれ寒くなるのであれ、気候が変化すると最初にあらわれる反応は、多様性の増加である。これは、状況が変化したことによって稀少な種に繁栄のチャンスがめぐってきたこと、そしてこれまで定着していた種がまだ減少していないことによる。地球はそのようにしてきた。

ガイアの老化と死が近づいている。ガイアが年老いて、もうそれほど長く生きられないという事実に触れないわけにはいかない。太陽がいまだかつてないほど熱くなっているため、まもなく動物や植物や細菌といった生命体は、その暑さに耐えられなくなる。人間と同じことがガイアにも言える。その生涯の最初の十億年は細菌の時代で、中年も終わりに差し掛かって、ようやく最初の原始植物が現れた。そして80代になって初めて、最初の知的な動物が惑星に出現した。

第四章:21世紀の予測

気候変動の予測の信頼すべき情報源となるのは、IPCCの報告書である。IPCCは、1990年にはじまる「Climate Change」から今日まで、主要な報告書を数多く発刊している。とくに、1990, 1994, 2001, 2004, 2007の報告書は重要である。

北極やグリーンランドの解氷は深刻である。地球は、北極の氷による冷却能力を失うことになる。白い氷に取って代わった黒っぽい海が太陽の熱を吸収し、暖まるにつれ、グリーンランドの解氷はさらに加速するであろう。

化石燃料と農業によって、われわれはすでに0.5テラトン(1テラは1012)の炭素を放出した。これは始新世の猛暑に放出されたと推定される量の範囲内である。その他、今はメタン、フロン、亜酸化窒素を大量に放出している。

覚悟しておくべきことは数多くあるが、二酸化炭素濃度が500ppmを超えたら(数年の内に起こる可能性がありそう)、気温はおそらく今よりも6℃から8℃高くなり、新たな安定状態に入ることになるであろう。

第五章:さまざまなエネルギー源

近代文明を支えてきた電気エネルギーの源を、考え直さなければならない。化石燃料(石炭?石油?天然ガス)、水素、再生可能エネルギー(風力?波力エネルギー?潮汐エネルギー?水力発電?バイオマス燃料?太陽光エネルギー)、原子エネルギー(核融合エネルギー?核分裂エネルギー?チェルノブイリと原子炉の安全)の特徴が解説される。そして、エネルギー源のベストミックスを考えなければならないと主張する。

第六章:化学物質、食品、原料

われわれは、「都会のライフスタイルと価値観」を考え直す必要がある。このことを、農薬と除草剤、硝酸塩、酸性雨、危険物としての食物、リスクの認識の項目を立てて解説する。

第七章:持続可能な撤退を実現する技術

未来社会をどのように構築するか。それには、持続可能な撤退を実現する技術が必要であるとして、「改善」と「理想の食物とライフスタイル」なる項目をたて解説する。そして、最後に次のことが強調される。「ガイアの幸福は常にわれわれ自身の幸福に優先する。われわれはガイアがなくては存在できないのだから」。

第八章:環境保護主義に対する私見

直感的な感覚と本能、神と創造への直感的な理解、目標とすべき適正人口、人間はガイアの一部などの項目のもとに、環境保護主義に対する著者の意見が整理される。

第九章:限界を越えて

秩序正しい持続可能な撤退へ、文明の明かりを点し続けるために、われわれの子孫が生き残っていくためのマニュアルなどの項目のもとに、限界を越えた地球が語られる。

できるだけ多くの人に是非読んでほしい本である。農と健康が、環境を通してどれだけ影響を受けているかが分かると同時に、環境の維持なくして、健全な農も健康も経済も国家もあり得ないことがわかるであろう。

レスター?ブラウンは、経済の中に環境があるのではなく、環境の中に経済があらねばならないと説いている。ここでは、当たり前のことであるが、人の中に地球があるのではなく、地球の中に人があることが説かれている。地球が健全でなければ人間は存在し得ないのだから。さらに、地球はべつに人間を必要としていないのだから。

われわれはなぜ、人類や文明がいま直面している数々の驚異的な危機におもいが及ばないのだろうか。地球温暖化による加熱が、さまざまな生態系に極めて有害な現象を引き起こし、地球生命圏が、すでに温暖化を制御する限度を超えてしまっているのに、ひとびとがそれを理解できずにいるのはなぜだろうか。
言葉の散策 14:気が合う?息が合う
語源を訪ねる 語意の真実を知る 語義の変化を認めるそして 言葉の豊かさを感じ これを守る

かつて、気が弾み気が向くまま「情報:農と環境と医療 12号」の「言葉の散策 7」に、「元気」について書いた。しかし、それだけでは満足な気持ちになれなかったので、気を能くするため再び「気」に登場していただいた。これについては、「情報:農と環境と医療 20号」の「言葉の散策 14:気」に詳しい。そこでは、人間の体を取りまく農と環境とに、「気」という言葉が古来数多く使われていることに気が付いた。

例えば、農や環境にかかわる「気」の漢字二文字の言葉を追ってみると、気圧?気温?気化?気候?気象?気体?温気?雲気?空気?湿気?暑気?蒸気?大気?暖気?寒気?天気?二十四気?夜気?熱気?気団?気泡?気流?陽気などがある。

また、人間にかかわる「気」の漢字二文字の言葉はどうか。気意?気鬱?気結?気疾?気性?気絶?気息?気体(精神と肉体、心身)?気風?気分?気脈?気門?気力?活気?脚気?寒気?血気?健気?元気?根気?正気?心気?生気?精気?爽気?胆気?毒気?病気?口気?気官?意気などがある。

そこで、さまざまな辞典にあたり「気」の内容を整理すると、「気」の意は、「国語大辞典」にまとめられているように「変化、流動する自然現象。または、その自然現象を起こす本体」、「生命、精神、心の動きなどについていう。自然の気と関係があると考えられていた」、「取引所で気配のこと」の範疇に分けることができる。

これらの意が派生して、「万物を生育する天地の精、天地にみなぎっている元気」、「そのもの特有の味わい、かおり、香気」、「精神の傾向、気だて、気ごころ」、「何事かをしようとする心のはたらき」などの解釈が可能であろう。

こうしてみてくると、古来「気」が農と環境と人間にきわめて密接に関係していることは明らかである。天地合気とか万物自生は、自然環境にも人間にも適応できる言葉なのである。大地(環境)は気を通し、活発に変化?流動しており、人間は気を通し、生命?精神?心の動きを活性化している。「気」は環境にも人間にも欠くことができないものなのである。

さて、今回の話を始める。「気が合う?息が合う」である。人と人が互いに意志?感情?思考を伝達し合う場合、言葉や文字、視覚や聴覚に訴える身振りや表情や声などの手段を使う。しかし、これらの言葉や目で見える物以外にも、さまざまな感覚が作用していることに気づく。例えば、「気が合う」に似た言葉に、「息が合う?肌が合う?そりが合う?波長が合う」などという表現がある。とくに、「気」と「息」には多くの類似性があるようだ。

そこで、今回は「息」について調べてみた。字訓の「いき」は、次のようである。「気(氣)?息」。呼吸すること。「生き」と同根の語。「氣(い)」を語源とするもの、「いき」「いぶき」「いのち」「いきほひ」「いかる」「いぶせし」など、みなそこから分出する。呼吸だけでなく、その生きざまにも及ぼして、心のありかた、気力の意にも用いる。

これらを漢字にする。「いき」は、生き?息。「いぶき」は、息吹=気吹。「いのち」は、命。「いきほひ」は、勢い。「いかる」は、生かる?活かる?埋(いかる:生かると同源、炭火が長持ちするように灰に埋めてある。炭が埋っている)の意である。

「息」は、自と心とに従う。自は鼻の象形。息が心に従うのは、一息つくというような休息の意であり、静かに息づく意である。「生きる」という語義とも関連して、生息のようにいう。気息ともいうが、気に対しては、生理的な現象としての意味をもつ語である。

また、「気」はもと氣に作り、その初分は气(き)。雲気の流れる象形。もと雲気をいう。気にはまた風気?気力?気質のような用法があり、風とその義がちかい。風は風神によってその地域にもたらされる天の気であり、その地域の風土性も、人の気質も、みなそれに影響され、形成されるものと考えられた。人は「いき」によってこれを摂受するのである。

日本国語大事典の「気が合う」は、気持ちが通じ合う。気分が互いに一致する。「息が合う」は、相互の調子がよく合う。たがいの気持ちがぴったり一致する。「息」と「気」は同根なのである。そこで、「息」と「気」の諺を調べてみた。

「息」に関する言葉や諺が、日本国語大事典には47語、ことわざ大事典には36語ある。この中で、「息」と「気」が両方で使われる語を整理した。なんと20語ちかくもある。

息が合う(気が合う)、息が掛かる(気に掛かる)、息が通う(気が通る)、息が詰まる(気が詰まる)、息が尽きる(気が尽きる)、息が弾む(気が弾む)、息を失う(気を失う)、息を入れる(気を入れる)、息を込める(気を込める)、息を凝らす(気を懲らす)、息を詰める(気を詰める)、息を抜く(気を抜く)、息を呑む(気を呑む)、息を吐く(気を吐く)、息を張る(気を張る)、息を引く(気を引く)、息を休む(気を休める)、気が抜けない(気が抜けない)など。

さすがに、息が切れる、息が絶える、息が成る、息のたけ、息の根、息もくれず、息を返す、息を限る、息を切る、息を殺す、息をさす、息をする、息を吐(つ)く、息を継ぐ、息を閉じる、息を盗む、息を延ぶ、息を弾ます、息を放つ、息を引き取る、息を吹き返すなどに相当する「気」はみつからない。しかし、これらの語のなかには、息を気に変えても通じるようなものもある。

ジーニアス英和辞典やオックスフォード現代英英辞典によれば、「息」は、breathとwind、「気」は、mind、disposition、nature、intension、feeling、care、attentionで、「息が合う」とか「気が合う」などという意味はなさそうである。「気が合う」は、get along well, hit it off, 「息が合う」は、agree with each other, in tune with each other などがある。また、compatibleやgo togetherが相当するようである。「息が合う」?「呼吸が合う」は、in harmony with がよいと、最新日米口語辞典にある。

こんなことを調べて「気が尽き」そうだ。「息も尽き」そうだ。しかし、日本語では古くから「息」と「気」が紛うことなく深い絆を保っていること、健康には息と気がきわめて重要であることが認識できた。「病は気から」というが、「病は息から」でもあろう。呼吸の仕方が、健康にとっても重要なことも解る。

参考資料
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情報:農と環境と医療32号
編集?発行 博狗体育在线_狗博体育直播【官方授权网站】@学長室
発行日 2007年11月1日