相模原市認知症疾患医療センター

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センター長コラム

第24回 認知症のある人の暮らしとデザイン

 鏡現象という言葉をご存知でしょうか。鏡現象とは、鏡に映し出された自分の姿を、自分ではなく他人であると認識し、話しかけたり物を手渡そうとするなど、鏡像と積極的な交流を持つ現象を意味します。鏡現象が生じると、それを目にした家族や支援する人は戸惑います。認知症の新たな症状が出て、進行してしまったと悲観する家族もいます。

 とはいえ、鏡現象について教えてくださる家族や支援する人の話を耳にしつつ、認知症のある人と話していると、鏡に映し出された自分の姿を他人と認識し、話しかけたり物を手渡そうとしていたとしたら、それはその人の豊かな社交性や優しさがあればこそ、と思えてきます。ですから鏡現象を取り除かなくてはならない症状と決めつけるのには、疑問を抱いています。

 しかし、鏡現象が生じる事で、認知症のある人が不安や恐怖心を抱き、当惑してしまうようなら、なんとかして和らげたいものです。鏡現象は鏡像を誤って認識する現象ですから、幻覚ではありません。しかし、医師がこれを幻覚として認識すると、幻覚を和らげようと抗精神病薬が処方されることがあるようです。また鏡現象に伴って、不安や恐怖心が高じて焦燥が強まると、それを鎮めようと抗不安薬や抗精神病薬が処方されることがあるようです。しかし、これらの向精神薬は鏡現象による焦燥に対して大抵無力です。向精神薬を処方するのではなく、鏡に自分の姿が映らないよう、鏡の前に素敵な布をかけるだけで鏡現象は生じなくなります。鏡現象が生じなければ、それによる不安、恐怖心、焦燥は緩和されます。

 鏡の前に素敵な布をかけるということは、暮らしのなかで使用される家具のデザインに手を加えるということです。派手で細かな模様の壁紙に囲まれた部屋にいると落ち着かなかったけれど、無地の壁紙に囲まれた部屋に移ると穏やかになった認知症のある人に出会ったことがあります。このように、認知症のある人に生じやすい変化に配慮されたデザインが暮らしの中に浸透することは大切なことのように思われます。

 まだまだ十分ではないかもしれませんが、身体障害に配慮されたデザインは街に出ると多く目にします。点字ブロック、多機能トイレ、音声案内などはその代表例です。しかし、認知症のある人に生じやすい変化に配慮されたデザインを、街で見かけたことはありません。認知症のある人に生じやすい変化に配慮されたデザインを考えて建築、リノベーションされた入所施設の話題を耳にすることがありますが、全国的に普及しているとは言えないように思います。

 Alzheimer’s Disease InternationalはWorld Alzheimer Report 2020で、認知症のある人のために良いデザインとは何か、認知症のある人が暮らしやすいデザインとは何かを、豊富なケーススタディとともに報告しています。この報告書では認知症のある人のために良いデザインの原則を以下のように示しています。拙い和訳なので分かりにくい表現がある点をお許しください。

  • 目立たないようにリスクを減らす:段差などのリスク要因を最小限に抑え、安全のための機能はできるだけ目立たないようにする。
  • 人の大きさに配慮する:建物の規模が認知症のある人の行動に影響を与えることがあるため、人の大きさに配慮し、威圧的な要素を最小限に抑える。
  • 他の人を見る、見られることができるようにする:わかりやすい環境を整えることで、混乱を最小限に抑えることができる。認知症のある人と支援する人の両方にとって、視線が明確になることが求められる。
  • 不要な刺激を減らす:不必要な音、競合する音、不必要なサイン、ポスター、空間、物など、不要な刺激にさらされることを最小限に抑えられるよう、環境を設計する必要がある。
  • 役立つ刺激を最適化する:認知症のある人が、自分がどこにいるのか、何ができるのか、手掛かりになるものを見たり、聞いたり、嗅いだりできるようにすることで、混乱や不安を最小限に抑えることができる。
  • 移動と関わりをサポートする:障害物のない明確な移動経路を確保し、人や様々な機会への関わりをサポートする。
  • 親しみやすい場所を作る:慣れ親しんだ建築デザイン、家具、調度品、色を使用することで、認知症のある人が自分の能力を維持する機会を得ることができる。
  • ひとりでいる機会も、誰かと一緒にいる機会も提供する?静かに会話ができる空間や、大勢で過ごせる空間、ひとりで過ごせる空間など、様々な空間を設けることで、認知症のある人がどのように過ごせるかを選択することができる。
  • 地域社会とつながりやすくなる:訪問者が気軽に立ち寄り、交流を楽しめる環境であればあるほど、大切なひとや他の人と一緒に過ごすことで得られるアイデンティティの意識が強まる。
  • 暮らし方のビジョンに応えるデザイン:提供する生活スタイルを明確に示し、それをサポートするために、また認知症のある人や支援する人にとって明らかになるように建物をデザインする

 この原則を読んでみると、認知症があるからこうしたデザインが望ましいというよりも、筆者自身が暮らしたいデザインのように思えてきます。もしかしたら、認知症のある人のことを考えて作られたデザインというものは、誰にとっても過ごしやすいデザインと言えるのかもしれません。いずれにせよ、医学的なことばかりではなく、認知症のある人のことを考えられたデザインを街に浸透するためにどうすれば良いのかを考えるということは、とても大切なことのように感じています。

引用
  • Nagahama Y, Fukui T, Akutagawa H, Ohtaki H, Okabe M, Ito T, Suga H, Fujishiro H. Prevalence and Clinical Implications of the Mirror and TV Signs in Advanced Alzheimer's Disease and Dementia with Lewy Bodies. Dement Geriatr Cogn Dis Extra. 2020 Mar 26;10(1):56-62. doi: 10.1159/000506510.
  • World Alzheimer Report 2020, Design, dignity, dementia: Dementia-related design and the built environment.
    ( https://www.alzint.org/resource/world-alzheimer-report-2020/ 2021年3月25日時点 )

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