相模原市認知症疾患医療センター

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センター長コラム

第23回 からだの痛みとこころの痛み

 認知症のある人が夜に眠れず落ち着かなくなることやイライラして怒りっぽくなると、様々な薬で対処しようとする傾向は少なくないようです。多種類の薬を服用している状況を表すポリファーマシーという言葉が広まっても、こうした傾向が変わらずあることを診療や相談を通して気づかされます。先日、「〇〇という施設の看護師さんはとても有能なんだけど、何事も薬で解決しようとするから訪問した先生も根負けして処方しちゃう」と、お世話になっている看護師さんから打ち明けられました。

 確かに薬による対処は手軽です。同居する家族にも仕事や勉強、家事など、それぞれの暮らしがあります。施設で働く看護師さんや介護士さんは、限られたマンパワーの中で過酷な労働環境を強いられています。効果があるのなら薬で対処したい、そう思うのも当然です。薬が効果的なこともあります。薬の全てを否定するつもりは全くありません。しかし、その薬に効果を期待できない可能性があるとしたらどうでしょうか。

 以前、大きな声で「助けて」と繰り返す人について相談され、結果的に大きな声の理由は骨折によるからだの痛みだったということを経験しました。大きな声を繰り返すようになってから、大きな声を鎮めたいという理由で、抗認知症薬、睡眠薬、抗精神病薬が複数処方されていました。しかし当然ですがこれらの薬に痛みを和らげる効果はありません。薬はぼんやりとさせてしまい、痛みによる苦痛を和らげてほしい、助けてほしいと言いづらくさせていたかもしれません。これらの薬は漸減、中止されるとともに、アセトアミノフェンという鎮痛剤が使用され、その人の大きな声はなくなりました。好きな歌手の動画を観ることができるようになり、穏やかになられたようです。

 認知症があってもなくても、痛みがあれば誰かに助けを求めるのは当たり前の行動です。助けを求めていれば、何に困っているのか尋ね、からだのどこかに痛みがあるのかもしれないという視点を心がけたいものです。

 ひとりになると関節の痛みが強まり、誰かがそばにいると痛みが和らぐ認知症のある人に出会ったことがあります。「寂しくなると、からだのことばかり考えて不安になって、からだに力が入りすぎて痛みが強まるのかもしれませんね」と尋ねてみたところ、「昔からからだのことを気にしがちだったから、そうなのかもしれません」「デイサービスでにぎやかにしている時はなんともないのにね」と苦笑しながら教えていただきました。もともとの性格、性質の影響もあるかもしれませんが、年齢を重ねるとからだの衰えに戸惑い、不安や哀しみを感じるのは当然のことのようにも思います。不安、寂しさ、孤独感という、いわばこころの痛みがからだの痛みとして表現されることは決して稀なことではありません。認知症のある人に痛みが生じたときには、からだの痛みに着目し、鎮痛薬ばかりに頼るのではなく、その人のこころにも着目する姿勢が求められます。そしてこころにも着目し、そこに痛みがあれば、その痛みを癒す対話や生活習慣の見直しができると良いでしょう。身体活動を増やすことや、マッサージ、リラクゼーションをもたらす行動が、からだの痛みを和らげる効果があることを示唆する報告があります。

 認知症のある人に変化が生じた時、それは認知症という脳の病気の症状だと決め付けるのではなく、からだやこころに痛みがあるのかもしれないという視点を持つことは、認知症のある人に安心を届けるきっかけになりそうです。

引用
  • Cravello L, Di Santo S, Varrassi G, Benincasa D, Marchettini P, de Tommaso M, Shofany J, Assogna F, Perotta D, Palmer K, Paladini A, di Iulio F, Caltagirone C. Chronic Pain in the Elderly with Cognitive Decline: A Narrative Review. Pain Ther. 8(1):53-65, 2019.

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