相模原市認知症疾患医療センター

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センター長コラム

第15回 行動や心理面の変化に対応する時のジレンマ

 認知症疾患医療センターには、高齢者の行動や心理面の変化に関する相談が多く届けられています。施設に入居されている認知症のある人の行動面の変化について、日々のケアにたずさわる介護士さんやケアマネージャーさんから相談をいただくこともあります。相談をいただき対応を判断する際、ジレンマに陥ることがあります。今回はそんなジレンマを通して、認知症のある人の行動や心理面の変化とその援助について考えたいと思います。

 施設に入居後、昼間は眠気が強く、夜になると落ち着かない認知症のある人への対応について、施設に勤務する看護師さんからご相談をいただくことがありました。こうした相談は頻繁にあります。
 処方内容をみると睡眠薬を服用していらっしゃいました。経過は急速でしたので、薬や身体疾患によるせん妄状態と呼ばれる意識障害の可能性があると考えられました。体の診察の後、血液検査を行い、体の異常が無いかどうか調べることにしました。服用中の薬の中で、せん妄状態を生じる可能性のある薬は睡眠薬だけでした。睡眠薬を中止すればせん妄状態が改善し、夜の落ち着かない状態はなくなるかもしれません。そこで看護師さんに理由を説明し、睡眠薬を中止することをお勧めしました。しかし看護師さんはどこか心配そうな表情を浮かべていらっしゃいました。看護師さんは睡眠薬を中止することについて、施設の介護士さんに説明しました。すると介護士さんは、「申し上げにくいですが、夜は介護士の数も限られていて、もし睡眠薬を中止してますます落ち着かなくなったら、見守ることなんてできません」と、看護師さん以上に心配そうな表情を浮かべながら切実な思いを打ち明けてこられました。
 せん妄状態の際、焦燥や興奮が著しい時には抗精神病薬と呼ばれる鎮静作用のある薬を用いることがあります。施設で従事しておられる介護士さんの数には限りがあります。特に夜勤帯のマンパワー不足は深刻です。一人に対応し続けることで、他の入居されている人への目が足りなくなると、思わぬ事故を引き起こしかねないと不安になるのも当然です。介護士さんの不安を想像すると、睡眠薬を中止するだけではなく抗精神病薬を追加したくなってしまいます。
 しかし抗精神病薬には様々な副作用もあります。睡眠薬を中止するだけでせん妄状態が改善するかもしれないのに、抗精神病薬を追加すると、抗精神病薬の影響で転倒による怪我や嚥下障害による肺炎が生じかねません。

 施設に入居後、急に怒りっぽくなり他の利用者さんを怒鳴ることや、手を挙げてしまいそうになる認知症のある人のことで、介護士さんから相談されることがありました。こうした相談は頻繁にあります。
 怒りっぽくなるのには理由があるはずです。認知症だけで怒りっぽくなるとは考えにくいです。便秘、頻尿、痛みやかゆみなど、身体的な不快感が理由で怒りっぽくなることがあります。いくつかの薬は心理面に影響を与え、怒りっぽさの理由になることがあります。施設に入居していること自体を不本意に感じ、イライラしてしまうこともあるようです。実際、入居の理由を告げられぬまま入居している人もいます。認知症があるから入居の理由を伝えても忘れてしまうに違いない、認知症があるから入居の理由を伝えても理解できず嫌がるに違いないから伝えないようにしようと、周囲の人が判断してしまうこともあるようです。周囲の人、支援する人に意図はなくても、対応のされ方が関与して軽んじられている、さげすまれていると感じてしまうこともあるようです。施設内で行われるレクリエーションやリハビリテーションのための活動を、子供っぽい、馬鹿にされていると感じてしまうこともあるようです。聴力や視力の低下、視空間失認のために、状況を理解するのに時間がかかり、不安や恐怖感が生まれ、怒りっぽさとして表出されることもあります。
 このように怒りっぽさが生じるのには、身体、薬、置かれている状況や周囲の人との関係性が理由になるので、怒りっぽさを鎮める薬を使用するのではなく、理由を検討し対応することが適切なはずです。
 こうした対応について現場で支援に携わる看護師さんや介護士さんにお伝えすると、残念そうに「そうは言っても、スタッフや他の利用者さんが手をあげられたり、怒鳴られたりするのをこれ以上、放って置けません」と、暗に薬による対応を求めてこられることが多いです。
 確かに現場のマンパワーには限りがあります。怒りっぽさの理由を紐解くには時間もかかります。安全管理上も即効性のある薬による対応を期待されるのも当然です。しかし薬には副作用があります。こうした際によく使用される抗精神病薬には前述の通り副作用があります。怒りっぽさが鎮まっても、副作用によって認知症のある人の暮らしが損なわれることは避けたいものです。

 このように、行動や心理面の変化に対応する時には大抵、認知症のある人のためという立場と、周りにいる人のためという立場のジレンマに陥ることが少なくありません。周りにいる人のためという立場を重視したくなる人は、「眠れないのはつらいでしょうから薬で解決したい」「怒りっぽくて周囲との関係が壊れてしまうのは本人もつらいでしょうから薬で解決した」と考えやすいようです。
 薬の効果が明らかになっていれば、薬による対応を優先しても良いでしょう。しかし認知症のある人の行動や心理面に対する有効性が明らかな薬はほとんど無いに等しい状況です。一方、抗精神病薬は認知症のある人の死亡のリスクを高めるという報告が複数あります。こうした状況を考えると、粘り強く薬以外の対応を考えていくこと、丁寧に行動や心理面の変化が生じる過程を紐解くことは、支援の現場にいる人から恨まれてしまいそうですが、認知症のある人の暮らしを考えれば優先されることなのではないでしょうか。
 とはいえ、支援の現場の人々が苦労しやすい状況は深刻です。対人援助の業務は感情労働と呼ばれ、消耗しやすく心理的な負担も高まりやすい特徴があります。なんとかしようとしているのに、怒鳴られ罵られるのは快いものではないでしょう。待遇も決して良いわけではありません。望ましい教育研修機会の確保も含めた支援する人への支援、待遇改善は、ウィズコロナの時代がもたらす様々な影響を考えても、より一層強く求められるのではないでしょうか。

 高知大学の数井裕光先生を中心に「認知症ちえのわnet」という取り組みがあります(https://chienowa-net.com)。様々な行動や心理面の変化への対応方法を集積、分析し、より良い対応方法を見つけていこうという取り組みです。多くの人たちが「認知症ちえのわnet」に登録、投稿し、こうした活動が発展し、認知症のある人に生じる苦痛が早く緩和されやすくなり、認知症があっても安心して暮らすことのできる街づくりが広がることを期待しています。

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